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七国春秋  作者: 弥生遼
黄金の瞬
804/963

黄金の瞬~62~

 後に理葉の夜戦といわれる一連の戦いで勝敗を分けたのは、それぞれの主将の戦局に対する機敏な判断であった。

 左沈令が夜襲を受けていると知った章堯は、

 「左沈令が夜襲を受けているとなれば、敵の全面的な攻勢も考えられる。夜襲如き、左将軍だけで対応できる。我らは他方面の敵影に注意しろ」

 と適切な命令を下した。一方で段至瑞は、印進による奇襲を知りながらも、まるで動かなかった。いや、段至瑞は驚くべきことに就寝していたのである。本来ならば、印進の夜襲が成功したならばすぐに本軍を動かすべきであるし、失敗したとなれば速やかに印進軍を収容し、撤退しなければならない。どちらになるにしろ、段至瑞は起きていて戦局を見極めて判断をくださねばならぬ立場なのに、野営地の天幕でいびきをかいていたのである。


 孤軍奮戦していた印進軍は当初こそ戦局を優位に進めていたが、次第に押し返され始めた。

 『段至瑞は何をしている!』

 奇襲は見破られたが、攻勢としては成功しつつあった。気を見るのが敏な将なら、ここで一気呵成に攻勢に出るはずであった。段至瑞はどうやらそういう将ではなかったらしい。

 「やむを得ん。撤退する」

 決断した印進は軍を引かせた。その撤退ぶりは見事であり、左沈令が追撃を命じるのを躊躇うほどだった。

 だが、一連の戦いはこれで終わらなかった。他の方面からの敵の攻勢がないと判断した章堯がこちらかの攻勢を開始したのである。

 「奇襲をしておいて敵本隊が動かぬのは不可解だが、他に罠があるとは思えん」

 敵に油断があると見た章堯はひとまず隗良軍に前進を命じた。高台に陣取っていたため、敵陣の位置は大よそ把握できている。

 「敵に気づかれても構わん。炬火をあげて進め」

 章堯の命令を受けた隗良は全ての兵士に松明を持たせた。本来、夜の行軍は危険が伴う。しかし、よく訓練された隗良軍は一糸乱れず隊列を組んで段至瑞軍に迫った。

 

 事ここに至り、段至瑞は衛兵に叩き起こされた。隗良軍の動きを知らされて、段至瑞はやや青ざめた。

 「敵は馬鹿ではないのか!」

 夜間の行軍など非常識である。印進の夜襲を認めたことを棚に上げて段至瑞はよるに戦闘を行おうとしている敵軍を呪った。

 『印進め!失敗しおったか!』

 印進の夜襲は敵にある程度の効果を与えた。これを有効に活用し、成功させるも失敗させるも段至瑞の決断次第であった。その有効な決断を下せなかった段至瑞が一軍の将だったことが失敗だった。

 「防戦しろ!」

 段至瑞の命令はまるで具体性がなかった。今の状況ではそうとしか命令を下せなかった。睡眠で弛緩していた段至瑞軍の将兵は最大限の装備を整えたが、気を引き締める間もなく隗良軍との戦闘に突入した。

 段至瑞の失敗は陣を据えても柵などを設けなかったことにあった。敵軍が近くにあり、本格的な戦闘が間近となったのだから最低限の防備として柵などを設けるべきだった。しかし、段至瑞はそのことを怠った。

 そのため隗良軍は手間取ることなく段至瑞軍の陣になだれ込んだ。段至瑞軍は成す術もなく、崩壊した。


 段至瑞軍が隗良軍に蹂躙されているその頃、印中員は熟睡の中にいた。しかし、段至瑞軍より後方にあったので、戦闘の喧騒はまだ聞こえてこなかった。

 海嘯同盟の本島から呼び出された印中員は求められるまま段至瑞軍に従軍した。印中員の役目は印国国内での募兵の象徴となることだったが、期待されていたほどには集まらなかった。

 『私はそれほどの存在だったか……』

 そもそも印中員は武人ではなかった。あくまでも丞相印紀の息子という立場でしかなく、その名前が知られているのは鑑京の内だけに過ぎなかった。地方に行けば、その名前さえ知らぬ者もいたほどだった。そのような状況で太子となり、国主とならんとしていたかと思うと笑いものとなってもおかしくなかった。

 『道化を演じるならば最後まで演じるしかない……』

 それが馬鹿気た航海に出てしまった自分への報いだと思い、印中員は文句も言わずに段至瑞軍の後についてきていた。

 「太子……」

 天幕の外から聞こえる声に印中員は目を覚ました。外はまだ暗い。

 「どうかしたのか?」

 「段至瑞が攻撃を受けているようです」

 そう言った衛兵は募兵に応じてきた印国軍の兵卒だった。

 「本当か?」

 衛兵が頷いた。確かに海嘯同盟軍の兵士達が慌ただしく動いている。

 「段至瑞がどうなったか分かりませんが、このままでは太子の身にも危険が及びます。同盟の輩などあてにはできません。太子に心寄せる者達を集めました。密かに脱出しましょう」

 「しかし……」

 印中員は迷った。すでに印中員は海嘯同盟に命運を委ねている。見捨てて逃げるのはどうかと思われた。しかし、同時に自分に心寄せてくれている者達の思いも無碍にはできなかった。

 「分かった。行こう」

 この判断が印中員の生命を奪うことになった。印中員は衛兵達と密かに陣地を脱出したが、しばらくすると心寄せている者達は容赦なく剣を抜き、その剣は印中員を貫いた。そしてそのまま首を刎ねられ、首は布にくるまれて持ち去られた。彼らが章堯の陣に向かったのは言うまでもなかった。

 

 

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