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七国春秋  作者: 弥生遼
黄金の瞬
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黄金の瞬~58~

 印中員を奉じ、印国に攻め入る海嘯同盟の軍勢は『印無須征伐軍』と名付けられた。印国という名前を使わなかったのは印中員と印進への配慮であった。兵力数は約五千名。その大半が傭兵だった。

 「今でこそ五千名だが、印国に入れば印中員太子と印進将軍を慕う者が大挙して集まってくるだろう。数の不利などすぐに解消できる」

 そう豪語して段至瑞が千名の兵を引き連れて新判に上陸してきた。これより五回に分けて兵が本島より送られてくる。

 本来であるならば、段至瑞自身が新判守備隊を預かる岳全翔に挨拶をするべきなのだが、使者を寄こしただけで自分はさっさと新判の郊外に陣を敷き、そこで後続を待つことにした。

 「これはあれだな。隊長に会えばどうしても戦術上の話をしなければならなくなる。そうなれば今の同盟でお前さんに勝てる相手はいない。総大将はそれを避けたんだろうよ」

 新判における実働部隊の長である猪水宣であったが、その部隊の大半を段至瑞に取られてしまったので、やるべきことを失っていた。段至瑞が印国に上陸してからは守備隊長の部屋に入り浸り、文句とも皮肉とも言えぬ愚痴を漏らすだけだった。

 「まぁ、そういうなよ。石硝、君のところには挨拶に来たのかい?」

 岳全翔は段至瑞の身内にあたる石硝に尋ねた。

 「来てませんよ。来ても相手にするつもりはありませんけど」

 石硝はにべもなかった。岳全翔は苦笑するしかなかった。

 「しかし、よく五千名程度で戦争をするつもりになったな。印国がどれほどの戦力を出してくるか分からんが、倍以上の戦力をもってくるのは確かだ。俺なら怖くて総大将の座なんか指名されても逃げさすけどな」

 「私もそうだよ。印中員と印進がいることで印国軍の兵士が集まってくるなんて皮算用だ。まともな戦略ではない」

 そもそもそれほど集まらないのではないか。岳全翔はそう見ていた。印中員は印紀の息子として太子候補と目されていただけで、それに相応しい事績があるわけではない。印進も印一族であるから将軍の地位になれただけで、やはり華々しい戦果があるわけではなかった。

 『それに印国将兵の人気は章堯に集中している。その章堯が迎撃に出れば、彼の軍勢から降っている者などいないだろう』

 岳全翔はそのことを段至瑞に伝えるべきではないか。いや、伝えてにいったところで段至瑞は無視をするだろう。勢い勇んで新判に上陸してきた将がそのような小言を聞いて出征を辞めることはまずあるまい。今の岳全翔には最悪の事態を考えて自分がどうすべきかを考えるだけだった。


 何もできない苛立ちの中、岳全翔は次々と上陸してくる征討軍を姿を眺めるだけだった。

 『せめて印中員と会えないものか……』

 会ったところで今更反意はしないだろう。それでもどうして執政官達の口車に乗って印無須に対抗する旗頭になったのかは知りたかった。そもそも印中員がすでに上陸しているのか、それともまだなのか、あるいは戦局が進むまで本島に待機しているのか、それすらも岳全翔は知らされていなかった。完全に蚊帳の外状態だった。

 最後の部隊が上陸してきてもなお、岳全翔には大した情報は与えられなかった。だが、夕暮れになって退勤しようと思っていると、思いがけぬ人物が来訪してきた。

 「印進が私に?」

 石硝が告げた来訪者の名前に岳全翔は驚くだけだった。会わぬわけにもいかないので、岳全翔は通すように言った。

 「お初にお目にかかります、将軍……いや、同盟では将軍という地位はないのでしたな」

 入ってきた印進は折り目正しく、それでいて気さくさを滲ませていた。印国の将軍であるからもっと居丈高に接してくると思っていたが、そのようではなかった。印進の若さがそうさせているかもしれなかった。

 「こちらこそお初にお目にかかります。どうも印国の将軍とこのような形で会うというのも妙なものですね」

 岳全翔が率直な感想を述べると、確かにそうですね、と印進は微笑した。

 「お伺いしたのは他でもありません。近隣の詳細の地図と当面の戦略についてご教授いただきたいのです」

 「はぁ……」

 岳全翔は気の抜けた返事をしつつも、感心してしまった。そのようなことを聞きに来たのは印進が初めてであった。しかし、迂闊に教えていいものかと思ってしまった。印進が実は印無須と通じている印国の間諜であるという可能性もあるのだ。

 「いや、これは失礼なことをしたかもしれませんな。同盟の重要な機密を亡命したとはいえかつての敵に漏らすわけにはいきませんな」

 なかなか言葉を発しない岳全翔を見て察したのか、印進は自分から言い出した。

 「いえ、決してそのようなことではないのですが……」

 「これは私が悪い。忘れてください。ただ、ひとつお願いがあります」

 「お願い?」

 「我らは必勝のつもりでいます。しかし、万が一のことがあれば、中員殿を頼みます。中員殿はまだ本島におられる。もし、我らが敗れれば、執政官達は中員殿を贄として差し出すでしょう。それだけはないようにしていただきたい」

 丁寧に頭を下げる印進に対して岳全翔は即座に了承する旨を伝えた。印国の若き将軍は、段至瑞や執政官達よりも信頼できる存在のように思われた。

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