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七国春秋  作者: 弥生遼
黄金の瞬
795/963

黄金の瞬~53~

 岳全翔達は禹遂の娘がやっているという店へと移動した。本営の近くにあるこじんまりとした店で、客は他にいなかった。

 席につくと禹遂が適当に料理を注文した。しばらくして酒が運ばれてきて乾杯すると、岳全翔が切り出した。

 「それで、本島に来た印中員はどうなりました?」

 「正直なところ分からん。基本的には執政官事務所から出ていない様子だからな。だが、石豪士はやる気だぞ」

 禹遂は近徴を通じて印国に勝てるかどうか諮問されたことを明かした。

 「そんなところまで話が……。政治家が現実を見ないで馬鹿なことを夢想すれば、馬鹿な目に遭うのは我々軍人だ」

 「近徴には勝てぬとは言っておいた。しかし、私も近徴も率直に首座に言うことはできん。これでも我が生活は大切だからな」

 禹遂は自分の首をさすった。

 「ですが、隊長は印国に勝つ術があると言っていましたよね」

 石硝が要らぬことを言うと、本当かと禹遂が食いついてきた。

 「必ず勝てるということではありませんよ」

 岳全翔はつまらぬ顔をして酒を飲み干した。すかさず石硝が杯に酒を注いできた。

 「どういう作戦なんだ?」

 「作戦と言えるほどのものではありません。それこそ馬鹿気だ夢想です」

 作戦の概要は常に岳全翔の頭脳にあった。しかし、それを決して口外しなかった。たとえ秘書官であれ上役であれ、言葉として外に出してしまうと秘策ではなくなってしまうという考えが岳全翔にはあった。

 「そんなことよりも私が考えた通り、石豪士が印中員を印国の国主として擁立しようとしているというのならそれを阻止するのが先決ですよ。商人達の中には印国の片棒を担ぐのを潔しとしない者もいるでしょう」

 「それがそうでもない。まぁ、印中員の存在が明るみに出れば大騒ぎとなるだろうが、今の商人達に石豪士に噛みつく者はおらんだろう。韻幕が逮捕され死んで以来、公然と執政官を批判する者は影を潜めた」

 岳全翔は腕を組んだ。石豪士の計画を阻止するのは印中員の意思次第ということになってしまった。


 その印中員は懊悩していた。海嘯同盟の本拠地である本島に送られて、そのまま泉国へと行けると思っていたが、思わぬ形で足止めを食うことになった。海嘯同盟の首班であるという石豪士なる男は、泉国への亡命ではなく、印国の国主にさせるというのである。

 「印中員様、貴方は印国の国主になられたかもしれない御仁だ。それを印無須なる乱暴者によって不当に奪われたのです。印一族の者としてその不当な不正義と戦うべきではないですか?」

 石豪士はそのように印中員に迫った。今の印中員には実に痛い言葉だった。

 「私はその器ではありません。だからこうして逃げてきたのです」

 印中員は率直に言うしかなかった。岳全翔に指摘されていたとおりの事態になったので、彼の先見の明に驚きつつも、その分だけ冷静に対応することができた。

 「印疎将軍、印栄将軍が亡くなり、御父上である印紀丞相も亡くなったという。貴方は印一族に残された希望ではありませんか。このまま泉国へと亡命し、印一族が破滅へと向かうのを遠国から眺めているだけとあっては、祖霊に申し訳立たぬとは思いませぬか?」

 石豪士は実に弁が立った。印中員の痛点を確実に突いてくる。普段より礼節を重んじ、古代の聖人に憧れを持つ印中員からすれば、祖霊への不義は大いなる矛盾でもあった。

 「しかし、そのために敵である同盟の力を借りたとなると私は笑い者になります」

 「本来のあるべき印国の姿に戻すのです。そのために被る汚名を誰が笑いましょうか」

 「しかし……」

 印中員は反論する余地をなくした。元来、議論など得意ではない印中員など弁舌をもって海嘯同盟の頂点に登りつめた石豪士の敵ではなかった。

 「ま、よくお考えあれ。時間はありましょう」

 石豪士はそう言うが、どちらにしろ彼が泉国への亡命を手引きしてくれなければ、印中員は身動きが取れなかった。それから数日、印中員は何度も呼び出され、石豪士から延々と説得を受けることになった。


 夕刻、執政官事務所内にある宿泊施設に戻った印中員を待っていたのは芙桃だった。印中員はただただ狼狽するだけだった。

 「芙桃様、どうしてこちらに?」

 誰とも会いたくない気分だったが、芙桃を部屋に招き入れた。部屋に入るなり、芙桃は切り出した。

 「執政官殿から印国の国主として立つことを勧められておられるのでしょう。どうして諾と仰らないのですか?」

 「どうしてそれを……」

 印中員はさらに狼狽した。芙桃がここにいるのも疑問であるし、自分と石豪士のやり取りすらも知っていることにも驚きを隠しきれなかった。

 「私も中員様こそ印国の国主に相応しい方だと思っておりました。その話をお聞きして居ても立っても居られなくなり、こうして参ったのです」

 芙桃は印中員の問いかけを無視した。すでに芙桃は石豪士と面会し、両者の思惑が一致しているのを確認していた。

 「しかし……私は……」

 「中員様が立たねば、誰が今の印国の正義を天下に示すのですか。印無須のような乱暴者が権力を握り、章堯などというならず者に勢力を伸ばしております。このままでは印氏によって良く統治されていた印国が駄目になってしまいます」

 臣民のためにもご決断ください、と芙桃は迫った。執政官からではなく、芙桃に言われると印国の国民を代表して言われているような気がして印中員はこれまで以上に心を揺さぶられた。

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