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七国春秋  作者: 弥生遼
黄昏の泉
79/960

黄昏の泉~79~

 泉春開城を受けて樹弘は、蘆明軍と田員軍を急進させた。丸一日かけて行軍し、泉春に到着した。

 「主上。すでに街中は完全に制圧しておりますが、泉春宮では文将軍が包囲しており未だ抵抗の構えを見せております」

 樹弘を出迎えたのは相宗如であった。彼からの報告に頷いた樹弘は、すぐさま泉春に入ることを決断した。

 「田将軍は城外において外を警戒してください。蘆将軍は城内の警備を行ってください。僕は甲朱関とともに前線の文可達を視察します」

 てきぱきと指示を下した樹弘は、それから景朱麗を見た。

 「朱麗さんは、蘆明と城内に入って泉春市民の撫育に努めてください」

 「承知しました」

 景朱麗の言葉を聴き終えると、樹弘はすぐさま馬に乗り、泉春に入城した。泉春の市民達は、真主の泉春入城に歓呼を持って応えた。樹弘はそれに対して手を上げて応じただけで、泉春宮に急いだ。

 泉春宮の攻防はまさに佳境を迎えていた。文可達軍は泉春宮の南と西を攻め、相宗如軍は東を攻めていた。

 「これは主上。泉春で主上をお迎えできたことが何よりの喜びです」

 樹弘がやって来たのを知って文可達が巨体を揺らしながら出迎えた。

 「状況はどうです?」

 「我が方が押していますが、敵の抵抗も頑強です」

 樹弘は前線に目を移した。泉春宮は眼前にある。樹弘にとっては知らぬ光景ではない。相蓮子と再会し、景秀を救った泉春宮。その門前には敵味方の兵がひしめき合い、攻防を繰り広げていた。

 『こんなことをしている場合じゃない!』

 樹弘は無性に腹が立ってきた。戦っている相軍の兵士も泉国の人間ではないか。そのことが改めて脳裏に浮かんできた。自分が真主となることでこの戦争を終わらせられると思い、実際にかなりの短期間で樹弘は真主として泉春の地を踏むことができた。だからこそ、同じ国の人が争う現状を早く終わらせたかった。

 「北側はどうなっています?」

 「北は道が狭いので、わずかな兵士達で警戒させています」

 「かつて僕は景秀様を救うために泉春宮の北側通路から忍び込んだ。それは相蓮子が教えてくれたことだ。今もきっと……」

 相蓮子と景秀、あるいは景政が導いてくれている。その言葉を飲み込んだ樹弘は、神器である泉姫の剣にてをかけた。

 「文将軍、兵士の一部を借りていきます。僕は北側から泉春宮に入ります」

 「は……承知しました」

 文可達は一瞬ためらいを見せたが、樹弘の鬼気迫る表情を見て承諾した。

 「相将軍は僕と一緒に来て泉春宮を案内してください」

 「はっ!軍は里圭に任せておりますので」

 「よし!行くぞ」

 樹弘は先頭に立ち、文可達軍から離れた。城壁をぐるりと回り、泉春宮北側に到達した。敵側の兵は南の前線に駆り出されているのか、まるで姿がなかった。肥の臭いを我慢し、木戸をぶち破って泉春宮の中に突入した。

 「ひとまずは東宮に入りましょう。兄……史博がいるとなると、そこでしょう」

 相宗如が道案内しながら囁いた。

 「史博はいいとして、相房は?」

 「主上、そのことですが、恐らくはもう父、相房は……」

 相宗如が言い終わらないうちに敵兵が姿を見せた。相宗如は樹弘の前に立ち剣を構えたが、樹弘は相宗如の脇を抜け、自ら敵兵に切りかかった。相宗如をはじめ、兵士達は樹弘に遅れを取ってはならぬとばかりに前に出て、発見した敵兵をなぎ倒していった。

 「主上、ご無理をなさらないでください」

 相宗如は窘めたが、樹弘は何も言わず先に進んだ。

 東宮に入ると、そこにはすでに味方が入り込んでいた。味方だけではない。恭順した相軍の兵士達も武器を離して座り込んでいた。相宗如は彼らに近づき、相史博の行方を問うた。

 「史博は国主の間にいるようです」

 国主の間は、国主が儀式や祭典の時に謁見する場である。相史博は最後の最後に国主となるつもりなのだろうか。

 国主の間までは相宗如が案内した。もはや敵の抵抗はなく、泉春宮自体もほぼ制圧できたようであった。国主の間の前にもそこを守る兵士はいなかった。逆に味方の兵士達が樹弘一行を待っているかのようであった。

 「中には兵がいるかもしれません。主上はお下がりください」

 相宗如がそう言って国主の間の扉を開けると、そこに兵の姿はなかった。ただ、国主が座るべき高壇の上で、何かがぶら下がっていた。天井の梁から吊り下げられた縄で男が首をくくっていた。

 「あれは……」

 「兄です……。史博です」

 相史博は力なくぶら下がっていた。すでに事切れているのは明らかで、失禁もしているようであった。自らの意思で自縊したのか、それとも他者に強制されたのか。

 「下ろしてください。扱いは丁重に」

 樹弘はそう指示した。隣ではわずかに相宗如が涙を浮かべていた。

 「宗如。あなたにはもうひとつ辛い作業が残っている。相房の所へ案内してもらおう」

 「はい」

 相宗如は目頭をこすった。

 相房は私室にいた。正確に言えばかつて相房であったものと言うべきであろう。相房の私室でふんざり返って座っていたそれは、すでに腐乱しており、所々肉が削げ落ち骨が見えていた。

 それだけでない。肉や魚といった食事も無造作に並べられていて、それらも完全に腐っていた。当然ながら異臭がすさまじく、それをまぎらわすつもりだったのか、部屋の中には無数の香炉が散乱していた。

 「宗如、これは……」

 「父、相房はかなり前に何かしらの理由で亡くなっていたのでしょう。史博は、それを隠し、さも相房が生きているかのように振舞っていたのでしょう」

 相史博がそのようなことをした理由は今となっては分からない。推測すれば、自らに人望がないことを自覚していた相史博が、父の権威をかさにして権力を振るっていたと考えられる。

 「宗如は気がついていたのか……」 

 「はい。父が生きておれば、兄の専横を許すわけありませんから……」

 「そういうことか。相史博共々、丁重に葬ってください。相房は簒奪者かもしれませんが、死者に鞭を打つ必要はないでしょう」

 樹弘の一言で泉国の内乱は終息したと言ってよかった。

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