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七国春秋  作者: 弥生遼
黄金の瞬
789/963

黄金の瞬~47~

 翌日になり、芙鏡は母に急き立てられるようにして麓に下りた。長老宅にいる印中員に会い、共に新判に向かうことを告げた。当然、母のたくらみは話していない。

 「分かりました。新判まで私がお二人をお守り致します」

 印中員は胸を叩いたが、芙鏡はやや不安であった。印中員はどうみても女二人を護衛できる体躯をしていなかった。

 「お願いいたしますが、中員様は同盟にお知り合いがいらっしゃるのですか?」

 最も不安なのはそのことだった。新判に行ったとしても、知己がおらねば亡命を受け入れてくれるかどうかも分からないのだ。

 「お恥ずかしながらいないのです。しかし、同盟は亡命者については快く受けれると聞いています。大丈夫ですよ」

 印中員は自信をのぞかせた。その自信の根拠がどこにあるのか、芙鏡は怪しいものだと思った。

 『お母様もそうだけど、貴人というのはこうも楽天的なのかしら?』

 芙鏡自身も貴人ではあろう。しかし、あの母の傍にいるせいか、どうにも心配性になっていた。ともかくも芙鏡はこの青年に身を委ねるしかなかった。


 三日後、芙鏡達は慌ただしく小屋を後にした。買ったばかりの小屋は、万が一のことを考え、麓の長老に預けることになった。新判までの路銀に心配することはなかった。印中員が鑑京と新判を三往復しても余るほどの金子を忍ばせていた。

 「何から何までお世話になってもうしわけありません。ですが、流石は太子と見込まれただけのことある方です。度量が大きい」

 芙桃は娘が恥ずかしくなるほど印中員に媚びいた。印中員は恥ずかしそうにしていたが、それでも芙桃は構わず印中員のことを事あるごとに賞賛していた。

 『鏡、いいですか?もし、中員様があなたに女を求めてきたら、断ることなく受けれるのですよ』

 芙桃は出発する前にはそのようなことを芙鏡に言って聞かせていた。芙鏡は顔を真っ赤にするとともに、実際に印中員が求めてきたらどうしようと考えていたのだが、旅を始めて十日過ぎても印中員は芙鏡の肌に触れることもなかった。

 「ひょっとして中員様は女性に興味ないのかしら?」

 芙桃は娘と二人きりになると、心配そうに囁いた。

 「それはないと思いますが……」

 芙鏡は男性が自分に向ける好奇の視線というものに敏感だった。だから、そのような視線にはすぐ気が付くようになっている。確かに印中員からはそのような視線をまるで感じなかった。

 「新判までまだ遠いですから、中員様も気が張っているのかしら?」

 芙桃は芙鏡から仕掛けるようには言わなかった。もし母がそのようなことを言ってくれば、流石に拒んだだろう。そんなはしたない真似はいたくなかったし、何よりも芙鏡は印中員という男性に興味を持てなかった。

 『あの人は中身がない……』

 印中員は確かに優秀な男性なのだろう。見目も多くの女性を引き付けるものがあり、家柄は当然ながら悪くない。しかし、そのような情報だけが独り歩きして印中員という虚像を大きく見せているだけで、印中員という男性の本質がまるで見えなかった。

 『もし中員様が気宇の大きな方なら、無須に代わって太子になることを拒まなかったでしょう』

 印中員は父にである印紀によって太子とされることが嫌で鑑京を出た。その清流のような精神性は芙鏡も素晴らしいと思いが、自己の清廉さを維持するために父を捨て、臣民を捨てたとも取られることができる。どちらにしろ印中員という人物は国主にはおよそ相応しくないのだろう。

 『それでもお母様は中員様を同盟の助力によって国主なることを望んでおられる。しかし、中員様自体がそのような話には乗らないでしょう』

 芙鏡はそう見ている。海嘯同盟も母の思惑通りに動くとは限らないだろう。そうなれば新判に辿り着いても自分達がどう扱われるか分かったものではない。芙鏡は明日明後日のことよりも、遥か旅路の先が見えぬことに暗澹とするばかりだった。


 将来への不安はあるものの、旅路自体は実に楽なものであった。印中員の持っている豊富な路銀が旅路の助けになっているうえ、印中員が探索されている様子もなかったので関所などで誰何されることもなかった。

 しかし、新判まであとわずかという所に来て、悲劇的な情報に接することになった。印無須が印紀を処刑という情報である。

 「父上!」

 宿泊している宿の亭主が今朝市場で仕入れてきた情報だった。それを聞いた印中員は人目を憚らず、泣き叫んだ。自分を太子にしようとした父に反発するように鑑京を出た印中員だったが、決して父のことを嫌っていたわけではない。寧ろ尊敬する部分が多く、父として国家要職に就く先人として尊敬していた。

 「中員様……お悔やみ申し上げます」

 芙鏡はそうとしか言えなかった。

 「父は確かに私を太子にしようとし、無須様と争った。しかし、刑死されるほどのことか」

 刑死させられるほどのことをしたのだろう。芙鏡などはそう思ったのだが、口にはせず慟哭する印中員を見守るしかできなかった。

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