黄金の瞬~43~
印疎は降伏した。降伏した相手は征討将軍の印郷であり、印無須や章堯に降らなかったのは、大将軍としての矜持であった。それに別の思惑もあった。
『印郷ならば我らの助命を主上に請うてくれるかもしれない』
それは微かな希望だった。このまま時間が進めば間違いなく印無須が国主となり、復讐とばかりに印疎達の命を奪うだろう。その前に印郷が印角に助命を請えばあるいは命だけが助かるかもしれない。命さえあれば、まだ逆転の目を振ることができる。
「今更何も言うことはない。大人しく縛につく。罪は我と印栄が負う。他の将兵には寛大な処分を頼む」
印疎は印郷を目の前にしても恨みつらみを言うことはなかった。印郷は訝し気に周囲を見渡していた。
「もとより主上のそのおつもりでおられるが、進殿はどうした?」
「降伏を潔しとせず、自刎した」
印疎は自分の隣にある白い布を目線で指し示した。印郷が配下に命じて白い布を取らすと、首のない遺体が横たわっていた。
「鎧は進殿のものだが、首は?」
「主上に合わす顔はない。河川に流してくれと言われたのでそうした」
印栄が澱みなく答えた。勿論、これは嘘である。印進が少しでも遠くに逃亡できるように、背格好が同じぐらいの兵士の遺体を探し、首を刎ねて印進の鎧を着させたのだった。
「そうか……」
印郷は察してくれたのだろうか、それ以上は追及せず、首の探索も命じなかった。
翌日。南進していた印無須が印郷軍に追いついた。印郷は進軍を停止し、印無須を迎えた。
「これは太子、ご無事で何よりでございます」
「ふん!白々しい。主上の勅命を持った将軍だから手を出さんが、俺はお前を殴り倒したい気分だ」
印無須は当然のように上座に座った。その隣には章堯が腹心のように立った。
「印郷、今すぐに印疎と印栄、印進を連れてこい」
「太子。印疎と印栄は勅命をもって拘束しております。鑑京に到着し、主上の前で裁かれなければなりません。また印進は自刎して……」
「知るか!あいつらは俺を殺そうとしたのだぞ!」
印無須はかっとなって立ち上がると、印郷の椅子を蹴り倒した。印郷は地面に倒れた。勅命を受けた将軍には手を出さないという言葉を印無須は完全に忘れているようだった。
「黙って連れ来るんだ!俺も主上からの勅命を受けているんだぞ。勅命を盾に取るのなら、俺も勅命を剣にしてお前の命を奪うぞ!」
「……承知しました」
印郷は観念したように立ち上がり、兵士に印疎と印栄を連れてくるように命じた。
実は印無須と章堯は、印郷と会う前に打ち合わせをしていた。
「印郷は印疎達を捕らえたようですが、そのままにしておけば印郷は印疎達の助命を請うでしょう。もし二人が助命となれば、いずれ太子にとっての禍根となりましょう。鑑京の到着する前に殺すべきです」
章堯がそのように印無須に吹き込んでいた。印疎達への憎悪に燃えている印無須は当然だとばかりに頷いた。
印疎と印栄が連行されてきた。胴に縄を蒔かれ、印無須の前に跪かされた。
「印進がいないな」
「印進殿は自刎されました」
印郷が言うと、印無須は章堯を見た。印進が自刎したことを疑わしく思っているらしく、章堯に意見を求めてきた。
「印進の遺体は?」
訊いたのは章堯だった。
「すでに埋葬し、首は河川に投棄され行方が知れません」
「これは失態ですな、印郷将軍。印進は国家の大罪人。その死をろくに確認もせず、誰の許可もなく埋葬するなど、怠慢にもほどがある。貴殿が征討将軍であるならば、すぐに遺体を掘り起こさせると同時に首を行方を探索すべきだろう。それともできぬ理由がおありか?」
章堯は問い詰めた。印郷は苦り切った顔をして、そうするであろう、と言うしかなかった。
『印疎め、印進を逃がしたな』
章堯は確信していたが、そのことを口には出さなかった。もし言えば、印無須は印進の行方を白状させるために印疎達を生かすだろう。ここは印進の行方などよりも、印疎と印栄の命を奪う方が先であった。
「ふん。印進の首を見つけたあかつきには大路に晒してやる。さて、お前達二人だ。ここに連れてこられた以上、覚悟できているだろうな」
印無須は剣を抜いた。その顔に凶器の色が見えた。
「太子。二人は罪人ながら印氏です。裁きは主上によって……」
「うるさい!」
印郷の制止の言葉も聞かず、剣を振り上げて躊躇うことなく印栄の頭上に振り下ろした。印栄の頭が柘榴のように割れ、血が飛び散った。
「俺も印氏だ。それに国主になる男だ。何か文句あるか!」
印無須はそのまま剣を横に払い、印疎の首を刎ねた。印疎の首がごろりと地面に落ちた。
「俺に歯向かうとこうなるのだ。覚えておけ!」
印無須は印郷を睨みつけた。印郷は堪らず視線をそらしていた。




