黄金の瞬~42~
政変というべき事態が着実に進行していた。だが、当事者の一人である印紀は完全に無警戒だった。当然であろう。政変の実行者たる印郷は印紀の仲間であり、仲間内では年長者として尊敬の対象でもあった。裏切り、という言葉が一番似つかわしくない人物という言えた。
すでに深夜となっていた。印紀はもはや不眠不休の状態で、間断なく入ってくる情報を精査し、指示を出し続けていた。そこへ兵士を連れた印郷が現れても印紀は不思議に思うことなく、何事かを疑うこともなかった。
「将軍、主上の御気分はいかがでしたか?」
「……丞相。残念ながら、貴殿を逮捕させていただく」
「な……」
印紀は席を立つ間もなかった。印郷が引きつれてきた兵士達に両脇を固められ、縄を巻かれた。
「郷殿。これはどういうことか?」
「印紀殿は丞相の任を解かれました。そして、拘禁せよという勅命が降りました」
「勅命だと……」
この時なって印紀は印角に見限られたのだと悟った。
「してやられたわ!最大の敵が鑑刻宮にいたとは!」
「見苦しいですぞ。罪状に不敬罪を追加されてもよろしいか?」
「ふん。勝手にするがいい」
印郷は印紀を連行するように命じた。おそらくは印紀と顔を合わせるのはこれが最後になるだろう。印郷は目を閉じて印紀を見送った。
印紀逮捕に成功すると、印角は正式に印疎達の追討を命じた。
「印疎、印栄、印進の役職を解く。この三名は勅命もなく印無須太子を捕縛しようとし、国都で騒擾を起こした。そして刀槍でもって余を脅し、太子追悼の偽勅を入手して軍を発した。これらはいずれも重罪である。印郷将軍は征討将軍として速やかに三名を討つべし」
印角は印郷だけにではなく、印国全土に印疎達の追討の勅命を発した。当然ながらこのことは印疎達も知ることになった。
印疎達に鑑京の動きを知らせたのは印紀の家臣達であった。彼らは直接印疎に会って印紀の逮捕と追討の勅命について伝えた。
「このことは陣中に漏らしてはならん。これより外部からの者は何人たりとも入れるな。それと二人にはすぐに私のところに来るように」
印疎はすぐに印栄と印進に伝令を飛ばした。両名はすぐに駆けつけてきた。
「聞いての通りだ。箝口令を敷いたが、おそらくは陣中に漏れるのは時間の問題だ。どのようにするか。早々に決めねばならん」
「大将軍!悩む必要があるか!このまま戦い続け、印無須を屠れば潮目が変わる。勝利に奢る印無須と章堯に一戦挑もうぞ」
印進が若さを怒りに変えて決戦を主張した。しかし、印疎と印栄は印進の姿を直視せず、その発言にも賛同しなかった。
「大将軍!栄殿!」
「進殿。主上は先に我らに勅命を出しておきながら、同族である我らを見限ったのだぞ。その意味、分かるか?」
印栄の言葉に分かりかねる、と声を荒げた。
「静かにしろ」
「しかし、大将軍……」
「いや、お前の気持ちも分る。だが、栄殿の言うとおりだ。わざわざ後追いで印無須と章堯に勅命を出したのだ。主上がそちらの方に利があると判断したということだ。同族である我らを見限ったうえでな。」
印進が悔しそうに自分の腿に拳を打ち付けた。
「それでは大将軍はどうすればよいとお考えですか?」
「大人しく降伏するしかあるまいと思っている。将兵を助けるためにもそれしかあるまいよ」
「私もそう考えている。印一族の者として反逆者の汚名を被るわけにはいかん」
印栄が印疎に同調した。こうなれば印進としては従うしかなかった。
「分かり申した。こうなれば我らは大人しく降伏致しましょう。そのうえで刑死するにしろ自裁するにしろ、印一族として恥ずかしくない最期を迎えましょうぞ」
「いや。進殿。お前は生き残れ」
「大将軍……何を仰る。少なくとも我ら三人、生死を共にしなくて何をもって印一族の結束を示すのですか?」
「一族の結束……だからこそだよ。このままいけば印無須が国主となる。そうなるとどうなるか?きっと章堯が跳梁し、やがて印無須を飲み込むだろう。そうなれば印一族が滅びる。印一族の命脈を途絶えさせないためにもお前には生きてもらいたい」
「そのために私に生きて恥辱を纏えと……」
「つらい役目だが、頼めるのはお前しかない」
印疎の言葉に印栄が頷いて賛同した。




