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七国春秋  作者: 弥生遼
黄金の瞬
782/963

黄金の瞬~40~

 印無須が文慈で勝利したことが潮目を変えたといっていい。それまで日和見を決め込んでいた諸勢力が印無須の下に集まり始めた。それらの中で印無須を最も喜ばせたのは左沈令の存在であった。

 「遅れて申し訳ございません。太子の檄文に接しながらも、どちらに正義があるか分からず躊躇っておりました。章堯将軍の参戦とこの度の勝利で太子にこそ正義ありと確信いたしました。これよりは存分に臣のことをお使いください」

 左沈令は印国北東部を拠点とする貴族である。将軍の職にこそないが、その領内で動員できる兵力は二千名にのぼり、しかも兵の質は精強とされていた。

 言葉でこそ殊勝なことを言いながらも左沈令が日和見を決め込んでいたのは明らかである。しかし、章堯からすればそれだからこそ信頼できると思った。

 『日和見する慎重さと勝ち馬が誰であるかを見極める才知がある。高望みはしないが、長いものに巻かれて富貴を得る型の人間か』

 それならばいずれ自分の配下にもできよう。章堯は自分からすれば祖父ぐらいの年齢の男に臣下としての魅力を感じていた。事実として後に左沈令は章堯の配下となり、勇将として名を馳せることになる。

 「よく来てくれた左沈令!これで俺は章堯将軍と合わせて両翼を得たことになる」

 印無須は章堯にしたのと同じように左沈令の手を取って喜んだ。

 「太子。両翼を得たとなれば鑑京へと羽ばたく時かと思います」

 章堯は進言した。章堯自身、そして左沈令が印無須に味方したとなれば、鑑京へと向かう道中にも馳せ参じてくる者もでてくるだろう。印疎達が鑑京に籠城する前に会戦を挑み、決定的な勝利を得たかった。

 「章将軍の言やよし。諸将、協議の上に作戦を決めよ」

 印無須はすでに国主になったつもりでいた。章堯に征討大将軍というよく分からぬ役職を、左沈令にも征討副将軍という役職を与えた。


 章堯は早速今後の進軍について相談するために左沈令を自らの天幕に招いた。

 「やれやれ、副将軍などいう地位をいただいたところで実質何もないものです。ここはやはり章将軍に先頭に立って指揮をしていただきたい。私は率先して将軍の指揮に従うでしょう」

 左沈令は孫に等しい年齢の章堯に対して実に懇切丁寧であった。

 「何を仰るのです。私としては勇将として名高い左殿の手腕を見てみたいものです」

 「いやいや。国家において将軍の地位にあるのは章将軍です。私としては若くしてその地位に昇りつめた若武者の戦いぶりを見せていただきます」

 左沈令にそう言われて章堯は悪い気はしなかった。同時に左沈令が自分に非常に好意的であることが素直に嬉しかった。

 「では若輩ながらも全軍の指揮を執らせていただく。敗退した印疎達は鑑京近くで軍を再編成し、我々を迎撃してくるだろう。こちらとしては敵の再編成が終わる前に攻撃を仕掛けたい。そこで二軍に分けて行軍の速度をあげることにする。一軍は私が指揮し、もう一軍は左沈令殿に指揮していただく。それでよろしいか?」

 集結した諸将に異論はなかった。彼らは勝ち馬に乗れるのであれば、若僧である章堯の言うことでも聞こうという態度であった。章堯としてはそれでよかった。


 文慈の敗報は間を置かずして鑑京に届けられた。

 「局地的な敗戦でしかない。すでに大将軍が軍を再編しているではないか。一戦一戦の結果で動揺するものではない」

 鑑京にいる印紀は敗報に接しても動じることなく鷹揚に構えていたが、内心気が気でなかった。印紀がどれほど余裕を見せていても、敗報は鑑刻宮に衝撃を与えたのは事実だった。

 『これで動揺した奴らが主上を唆し、我らを排斥するかもしれない……』

 それほどに鑑刻宮の空気に澱みが発生していた。それを晴らすには印疎に勝ってもらうしかないのだが、印紀としても別の手段を考えなければならなかった。即ち、印角を国主の座から追い、息子である印中員を国主に添えることである。

 『まだその段階ではないが、中員には覚悟しておいてもらわないとな』

 印紀は印中員に鑑刻宮に来るように使者を遣わした。印疎達が出撃して以来、印紀は鑑刻宮に詰めており、印中員とは顔を合わせていなかった。しばらくして戻ってきた使者は驚くべきことを報告した。

 「中員がおらぬだと?」

 印紀は万が一の時に備え、印中員を鑑刻宮の外にある自分の別邸に待機させていた。しかし、そこには印中員の姿はなかった。別邸の家臣達によれば数日前に気分が優れぬといって部屋に籠りきり、誰も寄せ付けなかったらしい。その間にいなくなったようである。

 「まだ遠くには行っておらぬはずだ。捜せ!」

 印紀は頭を抱えたくなった。全てが悪い方に悪い方に向かっているという予感が脳裏の端によぎり始めていた。

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