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七国春秋  作者: 弥生遼
黄昏の泉
78/959

黄昏の泉~78~

 湯瑛軍敗北の報せは相史博を驚倒させた。本来は国主が座るべき席にふんぞり返っていた相史博は、驚きのあまり席は滑り落ちてしばらく動けなかった。そして湯瑛が戦死したと聞かされると、かっと目を見開いて立ち上がった。

 「嘘を言うな!あの湯瑛だぞ!戦場に出て一度も敗北したのことのない、傷すらも負ったことのない湯瑛だぞ!どうして負ける!どうして死ぬ!」

 相史博が語る湯瑛像は誇張であった。実際に一度、湯瑛は泉冬近郊で樹弘軍に敗れていた。しかし、相軍にあって歴戦の勇であることには間違いなく、相史博にとっては本当の意味で最後の砦であった。それを喪失した今、泉春を守る者は何者もないということを彼はよく知っていた。

 「どういつもこいつもろくに働かん!働くどころか俺を裏切る!クソだ!どいつもこいつもクソだ!」

 相史博は臣下が見ているにも関わらず、幼子のように喚き散らし地団太を踏んだ。

 「そもそもが蓮子と宗如を遠方に置いたのが悪い!だから勝手に戦死し、そして裏切るのだ!」

 これには聞かされている臣下達も唖然とし苦笑するしかなかった。相蓮子と相宗如をその遠方に追いやったのは他ならぬ相史博の策略であり、泉春宮にいる者ならば末端の人間でも知っている公然の秘密であった。

 「丞相、お怒りはご尤もかと思われますが、これからのことをお考えください」

 臣下の一人がおずおずと進言した。

 「これからだと!何でもかんでも俺に頼りやがって……!」

 ひいぃ、と妙な奇声を発すると、相史博はばたりと倒れた。興奮のあまり失神したのである。次に相史博が目覚めた時には、先発する文可達軍が泉春まで一舎のところまで来ていた。


 「さてさて、もうすぐ我らが故郷が見えてきたわけだが……」

 先んじて泉春へと軍を進めている文可達は、相宗如を招いて善後策を練っていた。甲朱関からは、攻め入る隙があるのなら本隊を待つずして攻撃しても良いと言われていた。

 「宗如殿。泉春を攻めるとなると、色々と思うところがあろう。こう聞くのはあるいは武人として無礼になるかもしれぬが、辛いのであれば後陣に下がってはいかがかな?」

 そう言える文可達は単なる猛将ではなく、武人としての情愛の豊かさも持ち合わせていた。

 「文将軍。お気持ち、ありがとうございます。しかし、私も武人の端くれ。親兄弟であっても、敵と定めた以上、戦うまです」

 相宗如は決意を顕にした。彼の決意は、樹弘とその周辺には伝わっていたが、他の諸将の中には知らぬ者もいた。相家の者であるという彼らの色眼鏡を払拭するためにも、積極的にそのことを吹聴して回らねばならないのが相宗如の辛さであった。

 「これは失礼した。ならば改めて問おう。泉春はどこから攻めればよいと思う?」

 文可達は相宗如の辛さが理解できるので、彼に働きの場所をあえて与えようとした。

 「東門でしょう。あそこは泉春宮に近く、門の大きさの割には守備兵が多くありません。それに景政様が先ほど破壊したと聞いておりますので、修繕もままならぬ状況でしょう」

 「ふむ……。では、こうしよう。我らが泉春の南面に陣取るので、相将軍は東門を行かれよ」

 「承知した。できれば、泉春を開城した状態で主上をお迎えしたものです」

 「そうありたいものだな」

 文可達は北を向いた。その先には当然泉春があった。


 翌日、文可達軍と相宗如軍は動き出した。夕刻には泉春を遠望できる距離にまで詰め寄り、陣を張った。当然ながら泉春からも両軍の存在が確認できた。

 文可達軍と相宗如軍はしばらくこの場に留まり、泉春の様子を見るつもりであった。文可達も相宗如も泉春でそれなりの組織的抵抗はあるだろうと考えていたが、実情は異なっていた。

 その日の夜であった。泉春の城壁の南門が開いたのである。休ませていた兵士を起こした文可達は、罠の可能性もあるので軍が動かさず臨戦態勢のままで待機させ、自らは前線に出て様子を伺っていた。

 しばらくして南門から数人の人影が出てくるのが見えた。正体を確かめるため松明を集めて照らしてみると、彼らは泉春の長老達であった。その中には文可達の顔見知りもいた。それだけで泉春で何が起こったか文可達は察することができた。

 「相将軍に伝令だ。こっちに来てもらえ」

 東門前にいる相宗如に伝令を発する一方で、文可達は長老達に会うことにした。

 「おお、文将軍!この日が来ることを心待ちにしていた」

 長老の一人は文可達の顔を見ると破願した。そして涙して文可達の手を取った。

 「我ら、真主の軍をお迎えすることをずっと夢見ておりました」

 「それは私も同じです。それで泉春の中はどうなっているのです?」

 「すでに街中は真主をお迎えするために市民、兵士達が準備をしております。しかし、泉春宮は門を閉じております」

 そこへ相宗如が姿を現した。この場合、相宗如の存在は非常に大きかった。下級兵士の中には相家を慕っている者も少なくなく、彼らかすると真主の軍に相宗如がいることは、真主に帰服する大きな拠り所となっていた。

 「文将軍。泉春に兵を入れましょう。今でこそ泉春宮で篭城するつもりでしょうが、いきなり打って出てくるとも限りません」

 「そうだな。すぐに主上に伝令を。相将軍は東より入城して、街の要所を押さえてくだされ。我らは泉春宮を包囲する」

 承知しました、と相宗如が頷いた。

 「それと同時に全軍に徹底させろ。泉春に入ってからはいかなる狼藉も死罪とする。真主の軍として恥ずかしくない振る舞いしろ」

 行くぞ、と文可達は自らが先頭に立って軍を進めた。

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