黄金の瞬~34~
鑑京を脱した印無須はひとまず近隣の邑に身を隠した。
「このまま俺の軍勢がある文慈に行く。そこで兵を挙げるぞ」
文慈は鑑京の北東にある邑で、印無須が所有しており、そこに軍勢も集めつつあった。
「お待ちください、太子。このまま兵を挙げても印疎、印栄、印進などは大軍を持っております。太子が戦力だけではいささか心許ないと存じます」
印無須の提案に意見したのは側近の華士玄。印無須に意見できる数少ない人物だった。
「ふむ。確かにそうだ」
傍若無人な印無須であるが、彼我の戦力差が分からぬような男ではない。印一族の大半を敵に回すには自己の戦力では乏しいことぐらいは理解できた。
「しかし、この俺に味方する奴なんているのか?世間様では俺はどうしようもない乱暴者だからな」
「章堯将軍を頼りましょう」
「章堯なぁ」
印無須は気乗りしない声を上げた。印無須の目から見ても章堯は成り上がりものでしかなかった。
「所詮は自分と姉の体を親父に売って出世した若造だろ」
「左様ですが、歴々とした戦果があり、保有している戦力も多くあります。これを利用しない手はございません」
印無須としても章堯が抱えている戦力は魅力的ではある。これを加えたとしてもまだ戦力的には劣るが、それでも十分に戦うことはできるだろう。
「ふん。利用するだけ利用してやるか。問題は奴が乗ってくるかどうかだが……」
「この戦に勝てば太子はすぐにでも国主となれましょう。そうなれば章堯は丞相、大将軍、官職は思うがままです。受けぬことはないでしょう」
「分からんぞ。俺を拘束して印紀に売り渡すかもしれんぞ」
「それはないでしょう。そうしたところで章堯はどれだけの褒賞を得るでしょうか?印一族が要職を占めている現状ではもはや自分が出世できないことを章堯も承知しているはずです。そのことを説けば、章堯も味方せずにはいられません」
もしよければ私が説いて参ります、と華士玄は言った。印無須は手早くな、と言ってこれを許した。
華士玄は印無須の綸旨を懐中に入れて章堯の野営地を訪ねた。章堯は魏房を傍において華士玄と面会した。
「太子は武力をもって鑑京から追われました。印国の正統な後継者は印無須様です。悪逆な印紀達を討つためにも将軍におかれましては太子を助けていただきますよう願う次第です」
華士玄は腰低く丁重だった。印無須から使者が来るにしてももっと高圧的な人間が来ると思っていただけに、章堯は少し拍子抜けした。
『このような男が側にいるということは印無須の陣営も捨てたものではない』
華士玄は相当な腹芸ができる人物のようだ。今後のことを考えれば注意しておくべき人物かもしれない。
華士玄が一通り言い終わると、章堯は魏房に視線を送った。魏房は小さく頷いた。
「私としてはもとより太子には非がなく、諸悪の根源は丞相と大将軍にありと思っておりました。綸旨を戴くまでもなく太子のために駆けつけるつもりでおりました」
「それはそれは重畳。太子もお喜びでありましょう」
「ただ私は大将軍より動くな、と厳命されております。すぐに動けば怪しまれてしまいます。そこでひとつ案がございます」
「ほう。将軍にはすでに良き作戦がおわりか?」
我が臣下に説明させます、と言って章堯は魏房に説明を任せた。
「まずは文慈に拠って太子には決起してもらいます。そうなれば鑑京から征討軍が出撃しましょう。それらが文慈を囲んだの見て我らがその後背を強襲します」
数で劣る印無須、章堯の連合軍が印疎達に勝つにはそれしかないというのが章堯と魏房の一致した見解だった。もうひとつは篆高国が鑑刻宮から章銀花を救い出すまでの時間稼ぎでもあった。
「ほうほう。それは必勝の作戦でありましょう。流石は章堯将軍」
華士玄は手放しに章堯の作戦を褒めた。同時に立たないことに不満を現すかと思っていたが、すんなりと納得した。
『軍事には疎いのか……』
そうだとすれば供に事を成すには不足する人物かもしれない。華士玄は綸旨を章堯に手渡すと喜色満面で帰っていった。
「少々軽佻な人物でございましたな」
「そうだな。人質も誓紙も取らずに帰るとはな。御しやすかろうが、味方にするにしろ敵にするにしろ物足りない連中かもしれんな」
「今は御しやすいとしておきましょう。では、我々も準備を始めましょう」
章堯は魏房の言葉に大きく頷いた。章堯の大いなる野望への第一歩が始まろうとしていた。




