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七国春秋  作者: 弥生遼
黄金の瞬
768/964

黄金の瞬~26~

 しかし、石硝は岳全翔を見直すことになった。ある日、新判の防衛について実戦部隊の長である猪水宣と討議している時のことだった。

 「新判の地形は実に守りやすい。西に海、東には山系がある。軍勢が侵攻してくるとすれば北か南になる。北は道が狭いので主力となるのは南だ」

 「でも、この前は北から来たんですよね」

 地図を広げて向き合っている岳全翔と猪水宣の会話に石硝もいつしか加わっていた。

 「そうだよ。あれは章堯……その時は篆堯将軍か。彼だから少数精鋭で新判を肉薄できたんだ。普通ならやっぱり南だよ」

 岳全翔はまるで別人のように能弁になって石硝に教えてくれた。

 「あれは肝を冷やしたな。また篆堯、ああ章堯が指揮してくれば、厄介なことになるな」 

 「それはたぶんないなぁ」

 猪水宣の意見を岳全翔は否定した。

 「どうしてですか?」

 「章堯は印国で手柄を立て過ぎた。門閥出身でない者があそこまで出世すれば嫉まれる。出師してまた戦果を立てられては彼らも困るからね。しばらくは彼の出番はないよ」

 そうかもしれない、と石硝は納得してしまった。

 「そうなれば次に攻めてくる連中はやはり南からになる。今のうちに備えておいた方がいい」

 「そうなんだ。だが、新判そのものの防備は弱い。だから私はこの際、新判近辺の地形そのものを要塞に見立てた防衛陣を構築したいと考えている。ひとまずは東側の山系にいくつかの砦を建設し、山頂には物見台を設ける。そして北側には……」

 岳全翔は筆で地図に印をつけながら丁寧に説明した。石硝はその一言一句に聞き惚れた。まるで上質な音楽を聴いているようだった。

 『この人は天才かもしれない……』

 石硝は純粋にそう思った。あのずぼらで怠惰な普段の姿から想像できぬほどに岳全翔の構想は秀逸であった。

 まだこの時点で『天才』という評価は過大評価であるかもしれなかった。岳全翔は後世の武人や歴史家が賞賛する戦果をあげるのはまだ先のことである。それでも石硝からすれば岳全翔が父親の七光りだけの人物ではないということを知ることができた。

 その日を境に石硝は岳全翔を見る目を変えた。それまで怠惰な岳全翔に呆れ、ややもすれば蔑みの目で上役のことを見ていたのだが、憧れと尊敬の眼差しに変わった。

 『この人を猜疑の目で見るなんて父も伯父様もどうかしている』

 岳全翔は海嘯同盟になくてはならぬ人だ。父から言いつけられた岳全翔の監視という仕事を石硝は放棄することにした。

 

 岳全翔は日常生活では怠惰そのものであったが、職務はきっちりとこなしていた。新判周囲の地形を利用して一大要塞を作るという構想は執政官達の許可を得て実行に移した。

 「ひとまずは東の山系に物見台を設けることを優先しよう」

 岳全翔は実際に東の山系に踏み入れ、自ら検分して回った。物見台を建てる場所も実際に自分の目で見て選定した。

 「ここに建てよう。ここなら東側の平原がよく見えるし、狼煙を上げても新判から見やすい」

 場所さえ決めれば後は工人の仕事である。工人達が打ち合わせをしている間、岳全翔は東方を眺めていた。

 「いずれ彼方から印国軍が来るんですね」

 石硝が隣に立った。彼女からすれば始めてみる風景に違いない。

 「いずれはね。でも、しばらくはないだろうな」

 「この前仰っていたように章堯将軍が指揮することがないからですか?」

 「いや、あれは次に攻めてくるとすれば章堯将軍じゃないというだけのことだ。攻めてくること自体がしばらくないということだ」

 それはどうしてですか、と石硝が目を輝かして訊いた。ここ最近の石硝は随分と好意的に接してきている。

 「印国国内の事情は知っているかい?」

 「はい。大よそは」

 「今の印公、印角は老齢だ。度々病で臥せっているとも聞こえてくる。そうなると後継者争いが活発になってくる。我々を攻めてくるどころではなくなるよ」

 「しかし、太子は決まっていると聞いていますが……」

 「その太子は実に粗暴という。しかも丞相印紀の息子が優秀となれば、印一族で諍いが起こるのは必定だ」

 同じ一族で国家の要職を占めるとこういうことが起こる。よい見本だと岳全翔は思った。

 「それならば十分に準備する時間がありますね」

 「でも、悠長なことはしてられない。そう思わせておいて急に攻めてくるかもしれないからね。私の予想なんて当たらないよ」

 工人達が打ち合わせを終えたと言ってきた。岳全翔達は下山することにした。新判に戻ると、石豪士が首座として、石延が次席として当選したという報せが待っているだけだった。

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