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七国春秋  作者: 弥生遼
黄金の瞬
766/963

黄金の瞬~24~

 それから定期船が出航するまでの間、岳全翔は宿舎に籠りきりになった。どうにも人に会うこと事態が億劫になっていた。

 『韻幕との対話は私にとっては余事だ』

 今の岳全翔は軍人である。軍人としての本分を全うすればそれでいい。政治的なことは関わる必要はない。韻幕の言うことなど無視しておいていい。そう思いながらも、客観的な自分の地位というものがいかに危険なものか改めて思い知らされた。

 「そりゃ、執政官共が私を警戒するのも無理ないということか。あー嫌だ嫌だ」

 それにしても韻幕という男はとんでもない男だった。当世一等の知識人と言われていた韻幕であったが、ふたを開けてみるととんでもない過激派であった。いや、知識というものが韻幕の目を曇らせて現実から遠ざけているのかもしれない。

 「韻幕という老人はずっと鬱屈した人生を送ってきたのかもしれないな。自分の知識に基づいた理想の世界が現実にはないと知って過激になっている。石豪士に楯突いているのも、その鬱屈が原因なんだろうな」

 なんとしても首座として当選したい石豪士と、理想を追い求めるが故に敵対する韻幕。何事も起きなければいいが、とうちに眠ってしまった岳全翔は無為な時を過ごして新判へと帰ることになった。


 「岳全翔が韻幕と会っていただと?」

 その報告を聞いた石豪士は愕然とした。石豪士にとって一番あって欲しくない組み合わせだった。

 「はい。先日の演説の場にも顔を出していたようで、その日のうちに韻幕の教場に案内されました」

 石豪士は私的に密偵を雇い各地に放っていた。韻幕のところにも門弟を装った密偵を送り込んでおり、情報は筒抜けになっていた。

 「それで、岳全翔はどうした?」

 「具体的には言いませんでしたが、韻幕は岳全翔に武装蜂起を迫りました。しかし、岳全翔は猛然と否定し、小屋を飛び出していきました」

 密偵は正確に報告していた。岳全翔が韻幕と結ばないと知った石豪士はひとまず胸をなでおろした。

 「しかし、韻幕という老人は邪魔だ。岳全翔は否定したが、他の人物を見つけて武装蜂起をけしかけるかもしれん」

 石豪士にとって韻幕は政敵であると同時に危険人物でもあった。長年執政官の地位にいて政治を担ってきた者からすれば、偏狭な知識人ほど過激になると知っていた。特に政権に否定的な知識人ほど自己実現ができなくなると突拍子もない思想を抱くということを石豪士はつぶさに見てきた。見てきただけではなく、時として公的に抹殺し、時として密かに潰してきた。

 「韻幕にも退場してもらわなければならないな」

 「左様。しかし、今ここで韻幕を消せば必然的に石様が疑われましょう」

 「分かっている。選挙も目前だから迂闊なことはできぬ。だが、韻幕をこのまま放置してしまっては首座としての当然が怪しくなる……」

 「では、やるしかありませんな」

 「うむ。韻幕に印国と繋がっているという罪をでっち上げろ。ふふ、こういう時に印国からの亡命者という肩書は役に立つな」

 そのように取り計らいます、と密偵は恭しく拝命した。

 

 一週間後、海嘯同盟の官警が韻幕の教場に押し入った。韻幕をはじめて多くの門弟が拘束され投獄された。

 「何の咎があっての投獄か!」

 韻幕は無実を訴えたが、一切の抗弁は聞き入れらなかった。石豪士は韻幕逮捕の理由を印国との密通であるとした。

 「印国と繋がっている卑怯者を正義の名のもとに処罰した。皆さん、敵に阿る卑怯者の言葉を信じてはならない。我らの結束を阻む妄言に過ぎない!」

 石豪士は高らかに演説し、商人達の支持を集めた。商人達からすれば印国と通じているというのは最大の禁忌である。韻幕の名声は地に堕ちた。そして牢に繋がれた韻幕は逮捕から数日後、忍ばせていた毒を仰いで死んだと発表された。

 「まずはこれでひとつ片付いたということだ」

 石豪士は韻幕が死んだその日、弟の石延を呼び杯をあげた。

 「しかし、岳全翔をどうするおつもりですか?韻幕と供に印国に内通していたとして処罰することもできますが?」

 「それは駄目だ。まだ岳全翔には使い道がある。それにあやつは軍人という枷を嵌めている限り軍人としての域を逸脱することはない。あれはそういう男だ」

 「兄上がそのように仰るのなら……」

 「延よ。私には子がいない。私の跡を継ぐのはお前なのだ。もっと泰然とした方がいい」

 「は、はぁ……。肝に銘じます」

 「とはいえ、監視をする必要はあるか。延、お前には優秀な娘がいたな」

 「はい。昨年大学を出て、今は私の秘書をしております」

 「その娘、しばらく新判にやるぞ」

 兄にそう言われれば、快諾するしかないのが石延であった。

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