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七国春秋  作者: 弥生遼
黄金の瞬
763/965

黄金の瞬~21~

 不愉快な石豪士の宴席に出席させられた翌日、岳全翔は海嘯同盟軍の本拠地となる建物を訪ねていた。

 海嘯同盟軍は正式には『海嘯同盟守備隊』という。その本拠地は『海嘯同盟守備隊本営』という名前が掲げられているが、その大層な名前からほど遠いほど建物は小さく、粗末なものであった。それもそのはず、本営と言いながらも海嘯同盟軍を実質的に動かすことができるのは執政官達であり、本営は形式的なものでしかなかった。

 本営に入ってすぐ右手に『守備隊総隊長』という木札がかかった部屋がある。岳全翔はそこにいる守備隊総長禹遂に会い、愚痴をこぼしていた。

 「本島に呼ばれたから、いよいよ軍人を辞められるかと思ったんですが、とんでもない目に遭いましたよ」

 岳全翔と禹遂はかねてからの知己であった。禹遂はかつて岳武の部下であり、軍に入った岳全翔のことを何かと目にかけてくれていた。

 「それは災難だったな。ま、これも軍人の職務の一つだと思ってくれ。私に捻じ込まれてもどうしうようもない」

 禹遂は爪を切りながら、話に応じていた。守備隊総隊長は海嘯同盟軍の最高位にあたる。しかし、先述した通り実権はほとんどなく、お飾り的な役職だった。

 「そうは言いますけどね。利用された身としては面白くありませんよ。いくら執政官とはいえ横暴ですよ、横暴」

 「全翔。ここだけの話だが、石豪士執政官は選挙で苦戦しているらしいぞ」

 爪切りを机の上に置いた禹遂は声を潜めた。岳全翔は身を寄せた。

 「本当ですか、それ?」

 「世評ではそうだ。執政官には当選するだろうが、首座となれるかどうかは微妙であるらしい。だから商人達に人気のあるお前を呼んで、昵懇であることを宣伝したかったんだろう」

 「やっぱりだしにされただけじゃないですか……」

 執政官首座になるには最多得票を獲得しなければならない。石豪士としても必死なのだろう。

 石豪士ほど長く権力の座にあれば、選挙結果を制御することも可能であったかもしれない。しかし、そのようなことがどうやらなかったらしいということは選挙というものが健全に行われていた証ともいえた。

 余談ながら岳全翔らが生きた時代から約三百年後、中原の覇者となった樹弘が主のいなくなった界国を自治領とし、その責任者を選挙によって選出させた。その時まで選挙という制度が中原において行われなかったのは歴史的な奇観といっても差し支えないだろう。

 「所詮我々は執政官達に動かされているだけだ。軍人になった以上、諦めるんだな」

 「私は商人になりたいんですがね。商人になって清き一票を石兄弟以外に入れてやるんだ」

 「そんなにいいものかね、商人は」

 禹遂は傭兵として岳武の部下となり、そのまま海嘯同盟に身を投じていた。商人上がりではなく、根からの軍人と言えた。

 「それはそうと、石豪士はそんなに危ないんですか?」

 岳全翔の興味はそこにあった。自分を軍に拘束し、商人にさせてくれないどころか、利用するだけ利用している石豪士が首座から落ちることになると、岳全翔としても未来が開けるかもしれなかった。

 「やはり長期に渡って執政官の地位にあるということが問題視されている。本来なら五期二十年だったところを無理やり二期延長させているからな。さらに今回も首座として当選すればさらに任期を伸ばそうとしてくるのは明白だ。執政官を志している若い商人などは公然と批判している」

 そこまでして執政官をやりたいのか。権力者になるよりも商人として金を稼ぐ方がよほど有益でやりがいがあると岳全翔は思っていた。

 「特にあれだ。韻幕が痛烈に石豪士を批判している」

 「韻幕か……まぁ、あの御仁はそうでしょうね」

 韻幕は海嘯同盟において特異な存在だった。印国というよりも当時の中原における最大の知識人であると言っても過言ではなかった。

 出自も特殊で韻幕の父親は印国の官吏だった。収賄事件に連座して罪に問われ、海嘯同盟に亡命してきたという過去があった。韻幕はそのまま海嘯同盟の中で育ったが、亡命者は商人にも軍人にもなれないという規則があり、韻幕は学者となった。

 韻幕は古今の歴史や儀礼などに精通し、海嘯同盟の商人達の畏敬を集めることになった。執政官達もその言説を無視できないという状況になっていた。

 「韻幕は授業と称して人を集め、連日に渡って石兄弟を批判している」

 「なかなか度胸のある話ですね。流石の石兄弟も韻幕相手には手を出せませんか?」

 「今はそうだろう。しかし、本当に追い詰められたらどうなるか分からんぞ」

 我々も含めてな、と禹遂は大きなため息をついた。


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