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七国春秋  作者: 弥生遼
黄昏の泉
76/960

黄昏の泉~76~

 樹弘軍と湯瑛軍が対陣して三日。両軍とも微動だにしないにらみ合いが続いていた。樹弘軍は意図的に動いていないのだが、湯瑛軍は動くに動けなかった。

 『これでは迂闊に動けん……』

 平原に陣取った湯瑛は敵に高所を押さえられる危険性を承知していた。それでもあえて平原に陣を置き、大軍の驕りから必ず樹弘軍はすぐに山を降りてくると思っていたのだが、敵に動き気配はまるでなかった。

 『下手にこちらが動けば高所から攻撃される』

 これまで何度か挑発するように軍を前進させてみたものの、樹弘軍は矢を射掛けるだけであった。

 『何を考えているんだ』

 湯瑛はぐるりと敵が陣取る山系を見渡した。これ見ようがしに樹弘軍の軍旗が樹っていた。まるで半包囲されているようであった。状況的には圧倒的優位でありながら動かない樹弘軍に不気味さを感じていた。

 対陣して五日目。湯瑛は決断を迫られていた。兵糧が尽きかけており、補給の状況も芳しくない。なによりも相史博から進まぬ戦局に対する督促があった。

 『長期にわたり遠征しているのにも関わらず、戦局に進展がないのは何故か?怠慢ではあるまいな』

 相史博からの書状を読んだ湯瑛は一瞬かっとなった。戦場も知らぬ小僧め、と心中で罵りながらも、戦局に進展がないのは確かだと思い直して冷静になった。

 『ここはひとつ、戦局を進展させなければ、武人として惰弱の謗りを受ける』

 湯瑛という男の人生の基準は、あくまでも武人としてどうあるべきでかであった。しかし武人としてはあまりにも直情的であり、柔軟さを欠いていた。湯瑛個人としてはそれでよいかもしれないが、それに付き合わされる部下達は不幸と言わざるを得なかった。

 「明日、敵に対して攻勢を掛ける!」

 その準備のために湯瑛軍はゆっくりと前進を始めた。湯瑛軍の動きは、当然ながら樹弘軍の知るところとなった。

 「ようやく敵は痺れを切らしたようですね」

 甲朱関は手をかざし、眼下の敵軍の動きを遠望していた。手に取るようにして分かるとはまさにこのことなのだろう。

 「朱関の予測よりも少し早かったようですね。主上、ご命令ください。我らは準備はできております」

 蘆明が促すと、樹弘は小さく頷いた。

 「では、かねてからの打ち合わせた手はずどおりに。文将軍と相将軍にもすぐに伝令を」

 承知しました、と甲朱関はすぐさま伝令兵を呼んだ。

 伝令兵に接した文可達は当然ながら湯瑛軍の動きを把握していた。

 「よし!我々も準備するぞ」

 文可達は意気揚々と部下に命令を下した。そして、遊軍として湯瑛軍の状況が分からない場所にいる相宗如も伝令を受けて動き出していた。


 湯瑛軍は山上からの攻撃が届かないぎりぎりの地点で停止した。そこで夜営して翌日攻撃をすることとした。

 『適度に攻撃を仕掛け、なんとしても敵を山から引き摺り下ろす』

 湯瑛は作戦の主眼をそこにおいた。そのためにも敵に勝機を得たと思わせなければならない。適度に攻撃を仕掛けた後、さも苦境に立たされたかのように撤退を偽装するのである。湯瑛はそのことを全軍に徹底させ、夜を迎えた。これが湯瑛の最後の夜となった。

 湯瑛軍がひっそりと夜を迎えている間、まず動いた軍があった。相宗如軍である。この三千にも満たない軍団は、本隊と共に山上に登ることなく、湯瑛軍の背後に回りこんでいた。

 相宗如軍は泉冬にいた将兵達で構成されていた。彼らの士気は一様に高かった。相宗如軍からすると湯瑛は自分達を瀕死の淵へと叩き落そうとした仇敵である。恨みこそあれ、かつての同士という気分はまるでなかった。

 相宗如を筆頭に、将兵達はすぐにでも湯瑛軍に襲い掛かりたかったが、それを自制して他軍の動きと朝が来るのを待った。

 相宗如軍だけではなかった。樹弘軍は全軍が密かに下山していた。樹弘軍からすればこの場合、湯瑛軍に気がつかれても問題なかった。気がつかれてもその時点で攻勢に出ればよく、気がつかれないのあれば、翌朝、湯瑛軍はいつの間にか樹弘軍に包囲されていることになるのであった。

 結果としては後者となった。不思議なことながら湯瑛軍は樹弘軍のこの動きにまるで気がついていなかった。湯瑛軍が迂闊であったこともあるが、それ以上に樹弘軍の動きが巧みであった。

 『大軍で動いては気づかれやすい。部隊を小分けにして順々に下山してください』

 甲朱関が事前にそう触れを出していたのも大きく作用していた。とりわけ猛将といわれていた文可達は下山する道順をも綿密に選定する繊細さをみせた。

 夜が明ける頃には樹弘軍のほぼ全軍が下山し、無警戒の湯瑛軍を包囲せんとしていた。

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