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七国春秋  作者: 弥生遼
黄昏の泉
75/960

黄昏の泉~75~

 義王朝五四三年二月二日。樹弘軍は貴輝を出陣した。その総数は五万。途中、いくつかの拠点となる城があったが、そこから出撃して行く手を阻む敵はなかった。

 「もはやこれらの敵は出て来ず日和見するでしょう。兵站線を確保するために田員の軍を残しておきましょう」

 甲朱関の判断により、田員の軍は進軍速度を遅らしてそれらの城を警戒させることにした。

 「支城の件はそれでよしとして、泉春からの兵力はどうなるでしょうか?」

 「篭城……と言いたい所ですが、大規模な兵力の篭城というのも大変なことです。まだ泉春には相当の兵力が残っていますから、まずは出撃してくるでしょう」

 「そこで敵に大打撃を与えておきたいですね。それで終わりにしたい」

 戦う戦力さえなくなれば相房も無駄な抵抗をしなくなる。樹弘としては敵は相房、相史博であり、彼の配下の将兵ではない。ましては泉春の住民達ではないのだ。

 事態は甲朱関の予測どおりになった。樹弘軍出撃の報を聞いた相史博は、湯瑛に諮問した。樹弘軍と再戦したい湯瑛は、ただそのことだけのために全軍出撃を進言した。

 「勝てるか?」

 相史博からすれば問題点はそのただひとつであった。相軍は連戦連敗であり、しかも相宗如軍を失っている。このことが相軍内部に動揺が走らないわけがなかった。ここで大々的な勝利をし、同様を沈める必要もあった。

 「勝てるか勝てないかではありません。勝たねばならぬのです。そのための全軍出撃であります」

 湯瑛として勝てるとは言い切れなかったし、勝てないとも言えなかった。彼としてはただ単に樹弘軍と雌雄を決する戦場に立ちたいだけであった。その結果、勝てばよし、負けても戦場で死すれば武人としての誉れであると信じて疑っていなかった。

 「湯瑛。全軍を持って出撃せよ!樹弘軍を殲滅するのだ」

 相史博としては、軍事的に頼れるのはもはや湯瑛しかいなかった。相淵を死に追いやり、相蓮子を見殺しにし、相宗如を攻めたつけを今になって払わなければならなくなったのである。


 湯瑛軍は泉春を出て樹弘軍を迎え撃つために南下した。その数は二万五千。一方の樹弘軍は田員軍を残したことにより四万となっていた。数の上ではまだ樹弘軍のほうが上であり、湯瑛軍は明らかに不利であった。湯瑛はそのことを知ってはいたが、有効な手段を打とうとはしなかった。そのあたりが湯瑛という武人の限界であった。

 「湯瑛に勝機がないわけではありません」

 樹弘に対してそう解説したのは甲朱関であった。

 「それではまるで僕達がもう勝ったみたいじゃないですか」

 そう言いながらも樹弘は笑みをたたえていた。

 「勝ちますとも。我らは数の上で有利でありますし、湯瑛が唯一勝ちうる奇策についても承知しています。それを防ぐための手段さえ講じれば、負けるはずがありません」

 甲朱関は自信満々であった。戦略、戦術上の彼の確信が誤ったことはかつてなかっただけに、樹弘としても頼もしかった。

 「それで湯瑛の勝機とは?」

 「単純なことです。戦場で主上を亡きものにすることです」

 甲朱関の回答は明瞭であった。樹弘も同じようなことを考えていたので黙って頷いた。

 「そのためには湯瑛はこちらよりも早く軍を展開し、こちらが準備を整えるまでに奇襲する必要があります。湯瑛はそれを怠り、真っ向勝負を挑もうとしています」

 「湯瑛はまるで勝つつもりがないかのようですね」

 二人の会話に割って入ってきたのは蘆明であった。彼は斥候がもたらした情報を元に敵の位置を報告しに来ていた。

 「敵の全軍は泉春南方の平原に陣取っています。そこで我らと決戦しようという考えでしょうか?」

 「蘆将軍の言うとおりでしょう。湯瑛は真正面からぶつかり合う会戦に武人としての名誉を見出しているようですが、そんなことに我々が付き合う必要はありません。こちらの損害を軽くしてなるべく楽に勝つ方法があるのですが……」

 「皆まで言う必要はありませんよ、朱関。軍師のよきように」

 承知しました、と甲朱関は深々と叩頭し、すぐさま各軍に命令を発した。

 

 蘆明がもたらした情報は非常に正鵠を射ていた。湯瑛軍は泉春南方の平原に陣取っていた。そこからさらに南へ行くと緩やかな山系がゆるやかな曲線を描いていた。軍事的に見れば、泉春に至るまでの最後の天然の要害であり、本来であるならばこの山系に湯瑛は陣取るべきであった。だが、あくまでも会戦に拘る湯瑛が山に登ることはなかった。

 「敵が譲ってくれるのなら喜んで地の利を得よう。一応、注意しながら登れ」

 そう命じた蘆明は湯瑛軍の正面に姿を見せるように山系に陣取った。これに対して文可達軍は蘆明軍より東側の山系に登った。

 「なるほど。敵が丸見えだな。我らが軍師殿の慧眼は流石だな」

 文可達からは眼下に湯瑛軍の全容がほぼ丸見えであった。

 「敵からも我らのことが見えておりましょう」

 副官がそう言うと、文可達は大きく頷いた。

 「勿論だ。それだけでいい。高所に多くの敵が陣取ったと思わせればそれでいい」

 後は待つだけだ、と文可達は言葉を締めくくった。

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