黄金の瞬~6~
鑑京にある宮殿―鑑刻宮の謁見の間では戦勝報告が行われていた。自慢げに戦果を報告する印疎の眼前に国主―印角が座っていた。
印角はすでに六十を超える老齢である。心身とも健康であり、衰えを見せていなかった。しかし、政治にはやや興味を失っており、印疎の報告にも相槌を打つことなくぼっとして聞いていた。
印角は可も不可もない凡庸な君主、というの世間一般の評価であった。目覚ましい治績があるわけではなく、非難されるような失政もない。臣民からはそれなりに親しまれており、臣下からも相応の尊敬を集めていた。しかし、篆堯は顔を伏せながらも恨みの込めた冷ややかな視線を送り付けていた。
『あの人格破綻者が国主とはな』
篆堯はその人格破綻者に寵愛されていた。いくら篆堯に実力と才能があっても、国主の寵愛なくしてわずか十六歳で将軍になれるはずがなかった。声にこそ出さないが、その寵愛は篆堯にとっては非常に不本意なものだった。
「将軍はよく働き、よき戦果を得た。その功績として一邑を加増し、大天印の勲章を授けよう」
老齢の割には張りのある声で印角は読み上げた。印疎は芝居がかった動作で謝辞を述べ、勲章を押頂いた。
「印角将軍だけではなく、篆堯将軍にも功績があったと聞く。篆堯将軍にも一邑を授け、小天印の勲章を授ける」
褒賞は篆堯にも授けられた。勲章の価値に優劣はあったが、一邑を授けられたのは同じであった。
「ありがたき幸せに御座います」
篆堯もわざとらしく声を張り上げた。篆堯はまだ印角の寵愛を受ける忠臣でなければならなかった。
「よき若武者よ。すでに右中将。これより先が楽しみだな」
印角からすれば本当に篆堯の出世が楽しみなのだろう。が、当の篆堯からすれば印角の発言は気が気でなかった。先述した通り、右中将以上の階級は印一族によって占められている。印角の寵愛をもってそこに食い込んだとしても、印角以外の印一族の嫉妬を買うだけであり、まだ彼らと暗闘するだけの勢力が篆堯にはなかった。
『高国は有能だが、共に戦う仲間が一人ではどうにもならん。俺にはまだまだ有能で忠実な部下が必要だ』
篆堯は己の無力を噛み締めながら、頭を垂れたままでいた。
夜になると祝宴が行われた。当然、今回の戦勝を祝うものであり、篆堯も主役の一人となっていた。
「煩わしいものだ……」
篆堯はこの手の集まりが嫌いだった。この祝宴の会場には数多公族貴族が集まっている。彼らは互いに注意深く観察し、自己の利害を考えながら寄り集まっている。そいう連中は同じ餌にありつこうと集まってくる野良犬でしかない。篆堯は野良犬と酒を酌み交わす趣味を持ち合わせていなかった。
「これなら高国と街の酒場で飲んでいる方がよほどましだ」
それでも篆堯がこの手の集まりに出る理由は、高みを目指すものとして公族貴族達の利害関係を把握しておかねばならず、時として舌を噛んで出てもそれらの連中に接近しなければならなかった。それともうひとつ理由があった。
「主上と公妃達がお見えだ」
祝宴の会場が一瞬湧き立った。前方の扉から印角と公妃、そして寵姫達が現れたのである。篆堯の視線は一人の女性に注がれた。
『姉上……』
七人いる印角の寵姫の中に篆堯の実姉篆銀花の姿があった。篆堯が従兄弟の篆高国と並んで心許せる唯一の存在だった。しかし、篆堯にとっては遠い存在になっていた。こういう場でなければ見ることすらできなかった。
篆銀花は弟の目から見ても美しかった。その姉が老人の手によって汚されているかと思うと吐き気をもよおしそうになった。
いや、姉だけではない。篆堯自身も幼い頃にあの老人に弄ばれたのだ。その時の記憶は忘れることができず、時として思い出すことがあった。
『今に見ているがいい。あの老人も、老人にまとわりついている虫共も俺が駆除してやる』
後世の評価として、篆堯は野心家とされている。彼の生涯を俯瞰して眺めた時、確かに野心的と言われても仕方がなかった。やがて篆堯は印国の国主の座を簒奪するのだが、ただそれは国権を思いのままにしてやろうというものではなく、あくまでも印角への復讐と姉と自分の身を自由にするための手段でしかなかった。




