黄金の瞬~3~
後に篆堯の生涯の好敵手となり、その名を歴史に残す岳全翔であったが、この時はまだ海嘯同盟に属する輜重部隊の部隊長でしかなかった。
上役である虎壕が新判のほぼ全戦力で出撃すると、岳全翔は一抹の不安を感じた。
「敵軍の中にはあの篆堯がいる。無意味に正面から決戦を挑むとは思えない。遊撃部隊を作って一気に新判を攻めてくる可能性もある」
岳全翔にも戦場における独特の勘があった。その間に基づき、岳全翔は出撃した虎壕に伝令を出した。一部戦力を引き戻すべきだと訴えた。
「ふん。あの英雄の息子が言うのだ。無視できまい」
岳全翔の名は海嘯同盟の中では良い意味でも悪い意味でも知られている。多少の忌々しさを感じながらも、虎壕としても無視できなかった。もし、ここで虎壕が岳全翔の献言を無視し、新判が危機に晒されようものなら、流石英雄の息子ということで岳全翔に名を成さしめてしまう。それは未だに岳全翔を腫物のように扱っている本当の執政官達への印象を悪くしてしまうことになる。虎壕は一部戦力を新判へと引き返させた。
新判近郊では二つの戦場が発生しようとしている。主戦場は印疎と虎壕の戦いであったが、歴史的見れば新判を巡る攻防戦の方が意義深かった。
篆堯が出した斥候は引き返してくる海嘯同盟軍を見つけ出してきた。報告を受けた篆堯は自分の勘の良さに満足していた。
「なかなか敵もやるようだな。新判に駐留している海嘯同盟の将軍はそれほど有能なのか?」
「虎壕と言うようですが、最近赴任してきたみたいで大した戦歴はないようです」
篆高国が手帳を広げて確認した。この手帳には篆高国が仕入れてきた情報がびっしりと記されていた。
「ならば一応は用心すべきだろう。今日はもう兵士達を休ませて、明日の朝早々に新判に対して威力偵察を行う。それで敵の出方が分かるだろう。」
すでに夜となっていた。将兵達は強行を実施したので随分と疲労している。その疲労を取るためにも今夜はゆっくりと休ませてやりたかった。
「承知しましたが、夜襲の可能性もあります。一部は終夜警戒させます」
「勿論だ。部隊の選抜は任せる」
俺も休ませてもらう、と篆堯は言ったが、どうせこれから夜が深くなるまで書見をするのだろう。篆高国としては篆堯に一番休んでほしかった。
篆高国達が予期したとおり岳全翔は夜襲を敢行しようとしていた。但し、その規模は彼らの想定を遥かに超える大規模なものであった。
「夜襲は新判の全戦力で行う。敵もこちら側の夜襲を予測はしているだろうが、それほどの規模とは思っていないだろう。それよりも引き返してくる我が軍に気が取られて相応の兵士を休ませている。そこを突く」
しかも単なる夜襲ではない。新判は港町ということもであり水路が多い。その水路は堀を経由して新判近郊を流れる河川にも通じている。これは海嘯同盟が新判を占拠してから作られたもので、印国軍で知る者はいない。岳全翔はそれを使用することにした。
「あの水路の本来の用途は、新判を攻められた時の脱出用じゃないか。この夜襲を行ったことで水路の存在が敵に知られてしまうかもしれないぞ」
「それだよ、水宣。もし、新判を攻め落とされるようなことがあれば、水路を使って逃げるなんて悠長なこと言っていられない。だったらこの危機を少しでも打開できるために使わせてもらう」
「いいのか?後で怒られるぞ」
「構わないよ。どうせ執政官達からも疎まれているからね。そもそも軍人なんて僕の性分じゃない」
岳全翔にとって軍人というのは不本意な職業だった。海嘯同盟が本来商人達の組合であったように岳全翔は商人になりたかった。しかし、英雄と言われた父の残照を受け継ぐために軍人にされてしまったのである。
極論を言えば、岳全翔はいますぐにでも軍人を辞めてもよかった。常にそのような姿勢でいるのだが、海嘯同盟を統括する執政官達がそれを許さなかった。英雄の残照を背負う岳全翔を疎ましく思う反面、執政官達は野放しにはしたくなかった。
『まったく、親父もえらいことをしてくれたものだ』
一層のこと、ここで大敗北すれば、責任を取って辞めさせてくれるだろうか。岳全翔にそのような邪な考えが浮かんだが、すぐに消し去った。そんなことをすれば執政官達は、嬉々として岳全翔を抹殺してくるかもしれない。それに岳全翔としても自分の我儘のために部下や新判の民衆を巻き込むわけにはいかなかった。
「ま、ここは敵を撃退できれば御の字だ。その程度で上手くやりましょう」
岳全翔は訓示にもならぬことを言って、出撃を命じた。




