黄金の瞬~2~
海嘯同盟は海運商人達の集まりである。そのため元来は軍隊組織など持っていなかったが、印国との抗争の中で次第に作り上げていった。但し、国軍のような緻密で堅牢な階級制度がなく、全軍を統率する司令官があるだけで、後は傭兵部隊に毛が生えたような雑多な部隊が複数存在するだけであった。
この時、迎撃に出た海嘯同盟の司令官は虎壕という。海嘯同盟が設立した軍事学校で一応の軍事教育を教育を受けてはいたが、その出自は武装商人であり、戦術にさほどの定見があるわけではなかった。新判から離れた場所で印国軍を迎撃しようとしたのも、それほど深い思慮があったわけではなく、新判に近い所はまずいという程度の思考しかなかった。
「印国軍は相当数でくるらしいが、構うものか。海嘯同盟の力を見せつけてやれ」
虎壕は兵車で前線を回り、陣を構築している兵士達を督励した。海嘯同盟は常に戦場において数の上では後れを取っていた。それでも印国軍に対して善戦できているのは豊富な資金力であった。装備面の充実は勿論のことながら、各国から強力な傭兵を雇うことができた。それが海嘯同盟の軍事力を支えていた。この時も強力な傭兵を前線に揃えており、まさか自分達の後方に印国軍の別動隊が進出しようとしているとは夢にも思っていなかった。
篆堯は部隊を急速に南下させつつも、斥候を広く出して情報収集を続けていた。篆堯の予測では海嘯同盟は新判に詰めている兵士のほとんどを出撃させていると見ていた。いくら海嘯同盟が精強な傭兵部隊を雇っているとはいえ、新判の総兵力をもってしなければ対抗できまい。
「新判を守っているのは寡兵だ。これを一気に奪取すれば、長きに渡る海嘯同盟との戦いに大きな楔を打つことができるぞ」
篆堯はそう言って配下の将兵達を励ました。篆堯の配下にある将兵は、自分達の大将が若年ながらもこれまで激闘を潜り抜け、数々の戦果をあげてきたことを身近で見ている。そのためこの大将に従っていれば、自分達の立身出世にも繋がるということを知っていた。
もし、新判の邑を印国に取り戻すことができれば、これほどの戦果が近年なかった。どれほどの栄誉と褒賞が与えられるか。将兵達はそれを想像するだけで身震いをした。
新判はもともと印国が有する港町である。それを約二十年前に海嘯同盟によって奪われ、それ以来一度も奪還できずにいた。印国にとって新判奪還は宿願であり、それを行った者は最高の栄誉をもって報いられるだろう。篆堯はそれを行おうとしていた。
『新判の防備などたかが知れている。俺達の部隊だけで十分陥落できるはずだ』
すでに新判の防備がどうなっているかは調査済みであった。印国が領有していた時代とさほど変わっていない。堀と木造の壁が連なるだけである。この堀さえなんとか越えられれば、あとは攻略など造作もなかった。
篆堯は新判近郊に到着すると、簡易な陣を構築することを命じ、新判の様子を窺った。予想通りさほどの防御陣を構築してる様子はなかった。
「今頃、新判の連中は焦っていることでしょう。降伏勧告でもしてみますか?」
篆高国が敵への降伏を提案してきたが、篆堯は新判の様子を見て言い様のない違和感を覚えていた。
「静かすぎないか?俺達がここまで近づいてきたのに、防備を固める様子もなければ、逃げ出す兆候もない」
篆堯には天性ともいうべき戦場での勘があった。その勘は大よそ的中しており、篆高国もそのことを知っているため、表情を引き締めた。
「確かに……。我らが急行していることを数日前には察知していて然るべき。いや、そうでなかったとしても、こうして肉眼でも見える位置まで来たのですから、何らかの行動があってもおかしくないでしょう」
「斥候を広く出せ。特に主戦場近辺を。ひょっとすれば敵の主力が戻ってきているかもしれないぞ」
同時に篆堯は新判への攻撃を控えさせた。事実、新判を出撃した虎壕は一部兵力を新判方面に移動させていた。しかし、これは虎壕の判断ではなく、新判に残るある男の献言を受け入れてのことであった。
「どうやら敵はこっちの意図に気が付いたようだな……」
新判の中に設けられた高台から印国軍の様子を見ていた男―岳全翔は、敵の行いを感心するかのように言った。
「どうしてそのように思うんだ?」
岳全翔の言葉にざっくばらんな口調で応じたのは猪水宣。岳全翔の友人して腹心であった。
「本来なら一気に新判に攻めかかってきてもいいはずだ。こっちは圧倒的に寡兵なんだから。それでも躊躇っているということは、自分達の後背か側面に敵が進出してくるかもしれないと判断したからだよ」
優秀な敵だこと、と岳全翔は続けた。
「感心している場合じゃないぞ。敵がこっちの意図に気が付いたとなれば、敵を撃退する術がなくなったということだろ?」
俺の出番がないじゃないか、と猪水宣は大きな体を揺らした。
「まぁ、焦るな。こっからは我慢比べ知恵比べだよ」
新判を守ることを任された岳全翔は太陽の位置を見ていた。すでに太陽は天頂を過ぎ、沈みつつあった。




