黄金の瞬~1~
麦畑に一陣の風が吹いた。穂波が揺れて黄金が波打つようであった。
兵車からその光景を眺めた篆堯は、印国とはなんとも豊かな国だと思った。
印国の主要産業は鉱物の輸出である。印国は複数の巨大鉱山を持ち、金銀銅の金属だけではなく水晶や金剛石などの宝石も産出していた。それだけではない。農業も盛んで、北部では麦を南部では米を中心に作られていた。
鉱物にしろ農作物にしろ、印国の人口の割には余剰ともいえる生産量であり、必然的に輸出されることになった。そのことが印国という国を富ませたと同時に、災いを生んだ。
「いや、国を富ませたのではない。印家を富ませただけなのだ」
篆堯の語気には怒りを含んでいた。それを察知した篆高国が篆堯の左肘を抓った。
「将軍。他者の耳目があります。ほとほどに」
篆堯ははっとして周囲を見た。今の彼の周りには従兄にして副官の篆高国しかいなかった。
「心配するな。こいつらは俺を慕っている。いざとなれば……」
「それ以上は言わぬ方がよろしいでしょう」
「そうだな。ただでさえ俺は嫉妬を買っている。余計なことはしないようにしよう」
わずか十六歳にして右中将。一師を率いる地位に将軍ともなれば、味方の中に敵も多くなるだろう。
篆堯は一師を率いて北へと向かっていた。現在、印国では穀物の収穫前に大規模な軍事行動を行っていた。敵である海嘯同盟が占拠する新判への威圧を加えるためである。
この軍事行動は年に一度の恒例行事にようになっていた。穀物の収穫期を迎えれば農村から徴用した兵士を帰さねばならず、収穫期を終えれば冬が来て降雪のために大規模な軍事行動ができなくなる。そのため大規模な軍事行動はいつも同じ時期に行われている。
『馬鹿な話だ。軍事行動を起こす時はいつも一緒では敵も準備をしてくる。負けはせずとも勝てぬはずだ』
この年に一度の軍事行動は毎年成功を見ていない。陸戦において迎撃してきた海嘯同盟を苦しめる程度が精々で、肝心の新判を陥落させることができなかった。
『所詮は大将軍の点数稼ぎだ』
篆堯はそう見ていた。印国の軍事を預かる大将軍からすれば、何もしないでいれば自分の評価が落ちる。それを懸念して毎年毎年適度な軍事活動をして実績作りをしているだけだった。
今回も大将軍―印疎は軍を率いて出陣した。篆堯はその配下となり、一師の将軍として遊撃の任務を請け負っていた。
「篆将軍は一師をもって単独行動を行い、新判の北方に進出して陽動を行え」
印疎はそう命じた。陽動などといえばいかにも聞こえはいいが、主戦場からはほど遠い。活躍できそうになかった。明かな厄介払いであった。
「やはり俺は嫉まれているかな?」
「そうでありましょうよ。印国史上最年少で将軍になり、しかも主上の寵愛もある。主上の遠縁にあたる印疎様からすれば面白くない相手でありましょう」
「ふん。嫉まれるだけならまだいい。しかし、足を引っ張られたくない」
「主戦場から遠いですから、以前のように大軍の中に取り残されるようなことはないでしょう」
「あの時は見事に生還したからな。しかも大いなる戦果をあげて。あの時の大将軍の面、今思い出しても愉快だ」
「ですから今回は手柄を与えないつもりでしょう」
「迂遠なことだ。そんなことでは今年も勝てんだろうな」
大敗しない限り、印公の遠縁である印疎は現在の地位を安泰できる。あるいは印疎はわざと勝ちもしなければ負けもしない戦いをしているのではないか。そうだとすれば印国とはなんと旧態依然とした国家であろうか。
「たかが商人の集団にここまで勝てぬというのは武人として恥だな。それを非難する者が現れなければ、我が国は永遠と海嘯の連中には勝てんぞ」
「では、将軍が仰いますか?」
「ふん。俺はそこまで馬鹿ではないぞ。さて、大将軍からは自由な軍事行動を許された。それを最大限に活かし、最大限の戦果をあげることにするか」
主戦場から遠く離れても篆堯は戦果をあげるつもりでいた。並の武人であるならば、上役に嫉まれて主戦場から離れた場所に配置されたら、これ幸いとばかりに静観を決め込むだろう。しかし、篆堯は違った。彼には大望があり、なんとしても戦果をあげてさらなる高みへと登らなければならなかった。そしてそのために必要な才能も、篆堯には備わっていた。
「大将軍は新判郊外で会戦を挑む気であるらしいが、敵がそのとおりに動いてくれるとは限らん。もし俺が海嘯同盟の司令官ならば、新判近くではなく離れた所で迎撃の陣を敷く。その方が新判を気にせず戦うことができる」
「敵に将軍のような才人がいれば、ですが」
「ふん。才人がおらずとも常識的な判断があればそうするはずだ」
篆堯と篆高国がそのような会話をしていると、斥候に出していた兵車が近づいてきた。
「報告申し上げます。敵軍は新判より東へおよそ三舎離れた場所で迎撃の陣を構築しております」
篆堯の読み通りであった。斥候にご苦労、と言った篆堯の脳裏にはすでに必勝の策が思い浮かんでいた。
「各部隊に伝達。我が部隊はこれより南下を開始する。新判郊外まで進出し、敵の拠点を肉薄する」
あわよくば新判を奪取してやる。篆堯はそこまで考えていた。




