春陽の風~7~
夜になり、樹武申がやってきて兄妹水入らずの夕食なった。三人だけで食事をするのは実に久しぶりのことだった。三人が揃うと樹夏蓮が専ら喋り、それに樹元秀が受け答えをし、たまに樹武申が相槌を打った。この時も樹夏蓮が先程の保護施設でのやり取りを話題にし、樹元秀がむず痒くなるほど褒めてくれた。
「やっぱり兄さんは国主に器よ。私は費用しか気にならなったけど、実際の難民の待遇にまで気が回らなかった」
逆に言えば、樹元秀は費用面のことを失念していた。難民の待遇も大事だが、費用も国費から捻出される以上大切である。自分もまだまだだなと思った。
「兄さんはそれでいいのよ。金勘定は臣下が考えること。兄さんは国民が、いえ中原の民がよりよく暮らせるにはどうすればいいのか、考えてくれればいいのよ」
「でも、お金のことも考えないと……」
「それは当然よ。だから無理なことは無理と言うわ。その折り合いをつけるのが政治じゃないの?」
そうなのだろう、と樹元秀は思った。どんな独裁的な国主であっても、運営する臣下がいなければ立ち行かなくなる。両者の均衡が取れてこそ、国家は健全に運営されるのだろう。
「じゃあ、夏蓮の言うことはよく聞くようにするよ」
「馬鹿ね、兄さん。私はたぶんそろそろ他家に嫁ぐんだから、大事にすべきは岱毅とか若手の官吏よ。ちゃんと公平な目で見て、これはという人物を登用してあげてね」
今の閣僚達はいずれも樹弘の代になって抜擢された者がほとんどである。いずれも若くしてその地位になったため、今でも現役ではあったが、樹元秀の代となると引退を余儀なくされるだろう。今のうちに自分にとってよりよき臣を見つけておく必要があるのだろう。
「本音で言えば夏蓮に丞相となってくれれば一番ありがたいんだけどね」
「馬鹿言わないでよ。ま、文官はこれからとして、武官は武申がいるので安泰よね」
ねえ、と樹夏蓮が弟に同意を求めると、樹武申は無言のまま深く頷いた。いつもながら無口、と思っていると、樹武申は突如として虚空を見上げ、涙を流し始めた。
「ちょっと、武申!何を泣いているのよ」
「姉上。幸せではありませんか。我が国は父たる主上の英明さをもって民の安寧は海内に広がり、その跡を継ぐべき兄上は威徳をお持ちだ。我が国繁栄は後百年は安泰でありましょう」
「それはそうだけど、泣くほどの事?」
姉の問いに、泣くほどのことでありましょう、と樹武申は即答した。
「大げさだよ、武申」
「いえ、兄上。私は過日、父上の供として翼国に行きました。翼国は父上のおかげで一時は平穏を見ましたが、政治が上手くいかず、国は荒れつつあります。それをはっきりとこの目で見ました。田畑は荒廃し、商人は傭兵無くしては行商できないほどです」
樹元秀は弟がこれほど話をしている姿を初めて見た気がした。樹夏蓮も同じようで目を丸くしていた。
「それに引き換え、我が国はどうですか?田には稲が実り、畑には作物が鈴なりになっています。また商人は傭兵なしでも国内を自由に行き来できます。これほど幸福な国が中原にあるでしょうか?」
「それは父上のおかげだ」
「確かにそうでありましょう。しかし、民衆は跡を継ぐべき兄上が国主に相応しいと思っているからこそ、父たる主上を慕っているのではないですか?もし兄上が暗愚であるならば、民衆は太子を変えるべきというか、父たる主上に失望するでしょう。そのようなことがおありですか?」
「流石は武申!珍しく長く喋ると思ったらいいこと言うじゃない!」
樹夏蓮はけたけたと笑いながら弟の肩を叩いた。彼女の目の前にはすでに空の酒瓶があった。ちなみに樹元秀は下戸で、樹武申は任務中は禁酒していた。
「父上が偉大だから私も大きく見えているだけかもしれないぞ」
「それもありましょう。しかし、鏡が大きくなければ、映す人物の全身を見ることができません」
樹武申は自分の発言が気に入ったのか満足そうに頷いていた。樹元秀からすれば分かったような分からないような言葉だった。樹夏蓮は、何言っているのか分からないわよ、と何度も樹武申の肩を何度も叩いていた。




