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七国春秋  作者: 弥生遼
春陽の風
734/964

春陽の風~1~

 春の風が暖かくなってきた。

 泉春宮の露台にいると、冷たい風が交じって時折暖かい風が吹き抜けていった。

 この露台からは泉春の風景がよく見える。春の風を感じながら泉春の街並みを見るのが堪らなく好きだった。

 泉国の国都泉春は殷賑を極めていた。真主樹弘が仮主相房から国主の座を奪い返してもうすぐ二十年経とうとしている。泉国は発展を続け、今や中原国家の中で最も富める国家と言われている。それはすべて真主樹弘の功績だった。

 仮主相房によって弑逆された泉弁の公孫にあたる樹弘は、市井の中で極貧のうちに育った。そこから甲元亀に見出され天下に出て、わずか数年で相房を倒して国主となった。

 そこからの樹弘の活躍も目覚ましい。泉国を復興させる一方で、泉国にとっての懸案であった伯国を併合することに成功。さらに印国の内乱と斎国の内乱を見事に治めてみせた。そして、中原の統治者であるはずの義王の血脈が途絶えていたという衝撃の真実が明るみになっても、動じることなく率先して中原の安寧のために尽力していた。本人は否定的ではあったが、すでに樹弘は中原の覇者となっていた。

 「父は偉大だ……」

 露台に佇む青年―樹元秀は、泉春の街並みを見る度に、偉大な父を尊敬した。それと同時に、偉大な父の跡を自分が継ぐのだと思うと考えると圧し潰されそうになった。

 樹元秀は自分が実に凡庸であると思っていた。さほど勉学ができるわけではなく、体格も至って普通。武芸が得意というわけでもなかった。市井に紛れ込めば、普通の学士か工人の弟子程度にしか思われないだろう。その自分が偉大な父に続いて泉国を治めねばならぬのかと思う度に泣きだしそうになっていた。

 「一層の事、妹か弟に太子の座を与えて欲しいものだ」

 樹元秀には優秀な妹と弟がいる。彼らの方が国主に相応しいのではないかと思うことがある。それなのに父の樹弘は頑なに樹元秀を太子と定め変えることはなかった。

 「またそんなことを言っておられるのですか?太子」

 背後から声がしたので振り向くと、傳役の景蒼葉が立っていた。樹元秀にとっては母の妹―叔母にあたる女性であり、教育係でもあった。

 「いるなら言ってくださいよ」

 樹元秀はこの叔母のことを敬愛していた。厳しくも優しさがあり、勉学以外のことでも真摯に相談に乗ってくれていた。自分が太子ではない方がいいのではないか、ということも景蒼葉だけには話をしていた。その時、景蒼葉は少し口角を綻ばせながら、

 『主上が元秀様を太子にされ、変えられることがないのが全てですよ』

 と謎かけのようなことをだけだった。樹元秀が分からぬと言うと、景蒼葉はいずれ分かりますと返していた。

 「何度か声をかけましたけど、ぼっとなさっていたのは太子の方ですよ」

 景蒼葉は呆れたと言わんばかりの口調だった。

 「そうか……人の耳目に注意して独り言を言わないとね」

 樹元秀は照れ臭くて情けなかった。

 「私だからよかったですが、他の者が聞けば何事かと思いますよ」

 「確かにね……情けない太子だと笑われるだろう」

 景蒼葉は深くため息をついた。

 「太子は優秀な方ですが、どうも自分を低く見られるところがありますね。そこが問題です」

 「私が優秀?」

 本当にそう思っているのか、と樹元秀は思った。傳役だから贔屓目で自分のことを見ているのではないか。そのようなことを言えば景蒼葉はまた樹元秀のことを窘めるだろう。黙っておくことにした。

 「優秀ですよ。少なくとも同じ年の頃の主上はようやく文字を読める程度でしたらかね」

 「それは仕方ないでしょう。主上は宮城の外で育ち、市井の庶民として育ったのだから」

 「そういうことではないのですが……」

 景蒼葉はまたため息をついた。樹元秀は自分が悪いことをしているような気になってきた。

 「そんなことよりも私に何か用?」

 「ああ、そうでした。まもなく朝議が始まります。太子も朝堂へとお越しください」

 「そうだった」

 現在、樹元秀は閣僚などの役職に就いていない。しかし、太子として朝議に参加を許されていた。樹元秀としては閣僚や将軍などの実務経験がないので、何の発言もできず、ただ黙って朝議の様子を見守るだけだった。

 『妹は民部次官をしており、弟は一旅を率いる部隊長だ。私は太子という立場だけだ』

 妹と弟は早くも実務を経験する立場にある。しかし、自分はそうではないということが樹元秀の負い目となっていた。

 「またそんなことを言ったら蒼葉さんに怒られそうだ」

 「何か仰いましたか?」

 「いや、別に。遅れないようにいかないとね」

 樹元秀は重い気持ちで朝堂へと向かった。

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