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七国春秋  作者: 弥生遼
仮面の理
732/963

仮面の理~24~

 足元で赤い血の海が広がっていく。

 まるで動かない義毘を見つめている界號の手からずるりと短刀が落ちた。乾いた金属が界號の耳を打った。

 王が死んだ。

 そう感じた同時に、死んだのではなく自分が殺したのだ、と界號はぼんやりと思った。


 秩序を壊しているのだ自分だ。


 嘲笑したい気分であった。他者に秩序秩序と言いながら、王を殺すという最大の秩序破壊を行ったのは他ならぬ界號自身ではないか。これほど滑稽で愚かなことはなかった。

 「……私はどうすればいいのか……」

 王を殺してしまったという現実が目の前を暗くさせた。それに加えてこれからどうすればいいのかという問題が界號の気分を重くさせた。

 「私は……死ぬよりほかない」

 王殺しの罪は死でしか贖えないだろう。しかし、自分が死ねば中原はどうなるのか。それもまた中原の秩序を破壊することになるのではないか。そう思えると怖くて自裁などできなかった。

 死ぬわけにはいかぬ。そう自覚した瞬間、界號は急に冷静になった。この事態を一人では解決できまい。界號は血の付いた衣服を脱ぎ捨て、行李にあった義毘の衣服を拝借して着替えた。そして王が付けるべき仮面を付け、そのまま外に出た。そして離れた部屋で控えている賈陰に会った。

 義毘が入ってきたのだと思った賈陰は、驚きのあまりに目を見開いて絶句をしていたが、界號が仮面を取ると、ははぁという妙な相槌を打った。

 「困ったことになった、賈陰」

 界號はそう言って賈陰を伴って義毘の部屋に戻った。部屋に入り、血の海に沈んでいる義毘の亡骸を見ると賈陰は、そういうことでございますか、と得心したように言った。ひどく冷静な態度だった。

 「主上がこれを」

 「やむを得なかった。王が泉公と密かに書状をやり取りをしていたうえに、静公が王による親政を行おうとしていたことを知ってしまった。もし、王の好きのように動かれたら古くから続く中原の秩序が崩壊してしまう。だから……」

 仕方なかった、と界號は声を落とした。

 「左様。これはやむを得ないことでありましょう」

 賈陰は血の海に浮かぶ短刀を拾い上げた。それを懐紙に包むと自らの懐中に入れた。

 「ともかくもこの骸の処分は我が配下にさせましょう」

 「待て……。それでは王の死がばれてしまうぞ……」

 「主上。幸いなことに王の顔を知っているのは、この中原には主上しかおられぬのですぞ」

 あっと界號は声を漏らした。この義央宮はおろか中原においても義毘の姿を知るのは界號だけなのだ。義毘が表に出る時は必ず面をつけており、それは世話をする宦官や侍女も同じであり、閨をともした女共も同様であった。

 「この骸はさしずめ押し入った賊とでもしておきましょう」

 「骸はそれとして、肝心の王の存在はどうするのだ?世間的には病死したとして、跡を継ぐことができる義家の者はおらぬぞ」

 「一層の事、義家などいらぬのではないのですか?」

 界號には賈陰の言っている意味がすぐに飲み込めなかった。王が必要ないというのか。

 「賈陰、それは流石に……」

 「主上。よくお考え下さい。今や中原の秩序を保っているのは我が界家です。王など言う存在は象徴に過ぎません。寧ろ仮に義家の血族を繋いで王としても、またいつかこのような事態が起こるのではありますまいか。それならば王などないままでもよろしかろうと考えます」

 「しかし、明日より王がいないと言うわけにもいくまい」

 「これも幸い。主上と王は同じ背格好でございます」

 「私に王のふりをしろというのか?」

 左様です、と賈陰が即答した。それはあまりにも荒唐無稽すぎる、と言おうとして界號は口を噤んだ。荒唐無稽ではあるが、同意にその通りでもあった。義毘が界號に摺り変わったとしても誰も気が付かないであろうし、誰も困ることはない。

 「だが、それでは次は界公がいなくなったとなるだろう」

 「左様です。ですからこれからずっとというだけではなく、時たま王のふりをすればいいのです。あるいは私がその役目をしてもしても構いません」

 それならばなんとなるか。いや、なんとかせねばならぬのだろう。今の界號にはそれしかない。

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