仮面の理~22~
泉水姫が亡くなったのは、泉雪が界畿に来て一か月後。死因は縊死による自殺であった。この報せを聞いた義毘は狂ったように泣き叫んだ。
一方で界號が泉水姫の死を知った時に思ったのは、
「王妃の葬儀をどうすればいいのか?」
ということであった。そもそも王妃は子を産めば実家へと帰る。王妃が長く界国に留まることなど過去の歴史の中ではなかったはずであり、王妃の葬送など行ったかどうかも怪しかった。それでもまた地下の書庫に行き調べねばならぬのかと漠然と考えていると、義央宮から矢のような催促が来た。
「王が人が変わったように泣き叫び手が付けられません」
義央宮からの報告によれば義毘は意味不明なことを叫びながら物を投げて暴れているらしい。界號はため息をつきながら義央宮へと急いだ。
義央宮における義毘の寝室の前には侍女や宦官達が群がっていた。その群の中に賈陰と界亜伯の姿もあった。
「誰か王に王妃の死を伝えたのか?」
界號はまずそのことを確認しておきたかった。界號が聞いたところによると、泉水姫は私室で首を括っていたらしい。それを発見し、すぐさま界號に知らせたのだが、その時は箝口令を敷くことを命じなかった。今になって不手際であったと思っているが、そもそもその手のことを義毘に報告するのは界號の仕事である。義毘の周りで世話をしている侍女や宦官が言うべきことではなかった。
「分からん。が、我々の所に報せが行くのと同時位に知ったようだから、側回りの連中から漏れたのだろう」
答えたのは界亜伯であった。界號は詰め掛けている侍女や宦官達をきっと睨みつけた。
「誰が言ったか調べは後にする」
ここで義毘に報告をした犯人捜しをしている場合ではない。今は義毘を宥める方が先決であった。
界號が扉を開き中に入ると、義毘は寝台に座り込み、おんおんと泣き声を上げていた。
『子供でもあるまいし……』
界號から見る義毘はまるで母を亡くした幼子のようであった。見てはいられなかった。
「王よ。お気を確かに」
界號が声をかけると、義毘は泣き止んで界號をきっと睨んだ。
「王妃が亡くなった!余が王妃以外のことを愛してしまったがために!」
今のところ泉水姫が遺書を残しているとは聞いていない。だから泉水姫の自縊の原因は不明であるが、義毘の言うとおりであろうかと界號は疑問に思った。
『王が雪姫を愛したからではなく、自分に子供が産まれぬことをやはり悔いたのか……』
死ぬほどのことか、と思いながらも、口に出すことはなかった。
「王よ。死した以上はどうしようもありません。王妃を偲びつつ、王としての責務を御果たし下さい」
「……界號、王の責務とは何だ?やはり、女に子を産ますだけの存在ではないか?」
「それについては先日申し上げましたが……」
「余は木石ではない。王妃を愛した。その愛が忘れられぬうちに子を産ますという目的だけのために雪を愛することなどできぬ」
義毘はすでに泣いてはいなかった。寧ろ悲しみを忘れ、毅然とした表情をしていた。それこそ王の威厳なのだろうが、界號の胸の内をざわつかせた。
「しかし……」
「下がれ、界號。余はしばらく王妃のことを偲びたい」
下がれ、と義毘はもう一度言った。界號はやむを得ず引き下がった。それから一週間、泣き声こそ聞こえてこなかったが、義毘は
部屋から出てくることはなかった。界號はその間、王としての仕事を代行するしかなかった。
泉水姫が亡くなって二ヶ月が過ぎた。義毘は王としての務めに復帰した。見た目の雰囲気は以前と変わらなかったが、泉姫と褥を共にすることはなかった。そして必要以上に界號と話すこともなかった。もともと界號と雑談をするような王ではなく、互いに主君と臣下の事務的な会話ぐらいしかしてこなかった。それすらもなくなってしまったのだ。どうしても必要なことがでてくれば、傍に仕える宦官に書状を遣わしてきていた。
『王が立ち直れたのならいいが、どうにも不気味身だ』
界號もそれほど人と会話することを得手としているわけではない。時として他者との会話に煩わしさする覚え、義毘とも必要最小限のことしか話すようにしていた。それでも以前であれば多少なりとも他愛もない雑談をしていたのが、そのようなものは一切なくなってしまった。
『王が私を避けておられるのなら、それは問題だ』
義毘が界號のことを疎み退けようとしているのなら、それは中原の秩序を乱す行いだ。
妙な胸騒ぎがし、不安にかられた界號は義毘に仕えている宦官の一人を問い詰めた。義毘が自分以外の人間と何事か通じているのではないか。それは界亜伯か、それとも賈陰か。
その宦官は、初めは惚けていたが、界號が執拗に問い詰めるので、その宦官は重大なことを自白した。
「王は泉公に書を遣わしております……」
界號の顔面は蒼白になった。




