仮面の理~20~
泉水姫が嫁して一年が過ぎた。やはり懐妊の兆候が見られない。
ここ数日、界號は地下書庫に籠っていた。義王が娶嫁してどのくらいで子を得たのか、ということを調べていた。
「最長で三年か……」
三年。界號にとっては気が遠くなりそうな歳月だった。この一年間ですら焦燥し、自分の代で義王の命脈が途絶えるのではないかという恐怖を日々感じていた。三年どころか二年も経たずに界號の精神が擦り切れてしまうだろう。
界號は決断を迫られていた。このまま泉水姫を王妃とするのか、それとも離縁させるべきか。地下書庫から出た界號は賈陰に相談することにした。
「離縁はやむを得ぬことと思います。しかし、単に離縁としては泉公も面白くありますまい。臣が使者として泉春へと赴き、泉公と会談致しましょう。あるいは泉公の一族に他の女性がいるのならばそれを妾として迎えてもよいかもしれません」
賈陰の提案に界號は手を打った。妙案だと思った。泉商の一族から別の女を迎えることができれば離縁の必要はなく、泉商としても納得するであろう。
「それがよい。賈陰、頼むぞ」
界號は賈陰に全てを託し、泉国へと旅立たせた。
賈陰より泉水姫が懐妊する様子がないことを聞かされた泉商は落胆した。孫娘が王妃となって一年も経つのによりよい報せが聞こえてこぬと気に病んでいたところであり、賈陰にはっきりと言われたことにより泉商は現実を突きつけられる形となった。
「泉公。王妃の体内に御子を宿すかどうかは天運によるものです。決して王妃様のせいではございません。しかし、だからと言って王妃に御子を生んでいただかなければ、中原にとって困ったこととなります」
賈陰は言葉を選びながらも切実に泉商に訴えた。泉商は、やつれた顔で力なく頷いた。
「しかし、王はことのほか王妃を愛しておられます。我が主も離縁していただくわけにはいかないので、泉公に他に娘がおれば妾としてお迎えすべきだろうと申しておりました」
「他に娘か……」
泉商は悲し気に呟いた。泉商の近親に年頃の娘が泉水姫以外にいないということはすでに調査済みで賈陰は承知していた。
「もう一人孫娘がいるが、まだ六歳だ。妾として王に差し出すわけにはいかない……」
そのことも賈陰は承知している。
「他におられるのではありませんか?年頃の娘が」
「はて……」
「臣が聞いておりますところによると、太子にはもうお一人娘がおられるとか」
「……いや、いるにはいる。しかし、あれは太子が若気の至りで侍女を孕ませて生ませた子。一応、太子の屋敷にはいるが、娘として認知しておらぬ」
「ではこの際、認知されればよいではないですか。聞けばその娘は王妃に負けず劣らず美しいと言う。泉公、今必要なのは血統や生まれの尊卑ではないのです。要は子を成す王に相応しい女性が必要なのです。もし、泉公がここでご決断いただかなければ、臣としては他に求めなければならなくなります」
そのために臣が使者として来たのです、と賈陰は言った。もし、ここで泉商がその娘を泉家の一人とすることを拒み、妾として義毘に差し出さなければ、他国へとこの話を持って行くという暗喩を込めていた。
「待て、待ってくれ。賈陰殿」
泉商は愚鈍ではない。賈陰の暗喩を正確に理解していた。
「賈陰殿の言うとおりであろう。すぐにかの娘を太子の養女とし、妾として王に献上いたしましょう」
「賢明なご判断です。つきましては公にとって良き提案をされました我が主に相応の謝礼を……」
「分かっておる。御使者もご苦労様でございました」
泉商が手を打つと、従者の宦官が盆を携えて入ってきた。盆には金の粒が盛られていた。これは賈陰へのものであり、界號にはまだ別の用意されていた。
「これで中原も安泰というものです」
賈陰は恭しくしながらも、過分な報酬に眼を細くした。
こうして泉商のもう一人の孫娘が界畿に迎えられることになった。
この孫娘の名は泉雪とされた。そもそもこの孫娘には別の名前があったのだが、養女となるに及んで泉家に相応しい名前として雪とされた。泉家には美貌の女性が多いと言われており、泉雪もまたその一人であった。ただ泉水姫と異なり、豊満な肉体をちらつかせる艶やかな女性だった。年齢は二十六歳。王妃よりも妾の方が年齢が高いという奇妙な状況になってしまった。




