仮面の理~19~
「余は昨夜、男としての喜びを知った。世の中にはあのような女性がいるものなのだな」
初夜の翌日、義毘は界號に泉水姫との閨のことを興奮気味に語った。
「左様でございましたか」
界號は知らぬ顔で応じた。義毘は隣で聞かれていたことを当然知らない。
「今宵も姫と閨を共にしたい。よいよな?」
「勿論でございます。早く子を成し、王家の命脈をお繋ぎください」
「ふむ」
義毘は曖昧な言葉で返したが、界號の言っている意味を理解しているのかどうか怪しいものであった。
義毘は毎晩のように泉水姫を抱いたようであった。ようであったというのは、あくまでも義毘に仕えている宦官から聞いただけのことであり、界號が隣室で睦事を聞き耳立てていたのは初夜だけであった。
「王は若く、御盛んなのは結構なことですが、まぐわいは人間の精を消耗いたします」
宦官の一人が心配になり界號に相談してきた。界號としても心配ではあるが、王の睦事に臣下が口を挟むわけにもいかなかった。
「王も女を知られて興奮されているのだろう。子を成していただくためにはやむを得ぬことだ。食事に精のつくものを多めに入れて差し上げろ」
界號として言えるのはその程度だった。
泉水姫が嫁いで半年が過ぎた。義毘は毎晩欠かさず泉水姫と閨を共にしていたが、泉水姫に懐妊の兆候はまるでなかった。
「王は事の他、王妃のことを愛されているようですが、ご懐妊される様子がありません。これは王に原因があるのか、それとも王妃に原因があるのか……」
公妃の体調は毎日のように報告されている。その報告は義央宮詰めの典医から賈陰に報告される。それを折を見て界號に報告されていた。
「どちらに原因があるかどうかなどどうでもいいのだ。要は王妃がご懐妊されないのが問題なのだ」
王に瑕疵があればどうにもならない。先代の王である子は義毘しかいないので、他で王家の血統をつなぐことはできない。なんとしても義毘の子が産まれなければならなかった。
『しかし、王に瑕疵があるとすればどうすればいいのか……』
界號はそう考えると不安に襲われた。このままでは自分の代で義王家が滅亡してしまう。これこそ最高の秩序破壊である。許されるわけがなかった。
賈陰を下がらせた界號は屋敷の地下へと向かった。そこには書庫があり、歴代界公がまとめた日記が残されているほか、界公としての仕事や心得などが書き記された帳面が存在していた。界號にとっては心の拠り所であった。
「王に子がなくなった時のことなど書いてあるのか……」
界號としては万が一の時の事態に備えておかなければならなかった。書庫にある書物の数は膨大である。しかし、歴代の界公達によって区分けされている。界號はそれらしい書物が収められている書棚から一冊ずつ丹念に読みとおした。
「これは……」
一晩書庫に籠った界號は、書物の中にある一節を見つけた。いつの時代の界公が書いたのか分からなかったが、そこにはこう書かれていた。
『万が一、王によって子ができぬ場合は、界公が妃とまぐわい、子を成すのも一つの手段である』
界號は危うく書物を落としそうになった。要するに義王に代わって界公が王妃と閨を共にして王の子を生ませよというのである。そんなことできるはずがなかった。
「実際にこのようなことが行われたことがあるのか……」
他の書物を読んでみたが、そのような記述はない。あくまでも提案のひとつでしかないのだろう。
「子ができぬ原因が王妃にある場合は新たに別の王妃を迎えればいい。しかし、王に責任がある場合は……」
ひとまずはどちらに原因があるのか。突き止めなければならない。突き止めなければ気が済まなかった。しかし、典医ですらない界號に突き止める術などなかった。
さらに三か月が過ぎた。相変わらず泉水姫に懐妊の様子が見受けられない。
『一度、王妃に会った方がよいかもしれない』
子ができぬことを泉水姫も気に病んでいるはずである。こういうものは気に病めば病むほどできぬという。もし、気に病んでいたとしてどのような声をかけるのか。男の界號に気の利いたことが言えるのか。確信のないまま、界號は泉水姫に面会した。
義央宮の後宮に入る男性は義王を除けば界公だけ。但し、それは日中に限られ、他に誰かひとり同席させねばならなかった。今回は身の回りの世話をしている宦官が同席した。
「王妃様にはおかれましては恙無くお過ごしのことかと思います。何かご不便なことがございましたらお申し付けください」
界號が王妃を見たのは初夜以来であった。美しさは変わらず、男を知ったためか女としての艶が増しているように思われた。
「不便はございません。王にはよくしてもらっています。しかし、未だ子ができぬことが申し訳なく……」
子ができぬことを気にはしているらしい。だからと言ってそのことで精神を蝕んでいるという様子はなかった。
「子は天からの授かりものといいうます。お気になさらぬように」
界號は本心と裏腹なことを言った。
「ありがとうございます。界主にそう言ってもらえると救われます」
泉水姫が僅かにほほ笑んだ。堪らなくぞくぞくとする笑みであった。




