仮面の理~15~
秩序を乱すものが去った。その去り方は、源桓のことを快く思っていなかった界號からすれば胸がすくものがあった。しかも、中原における界號の名声が今回のことであがった。
「界公のみが王の服喪を気にかけていた。まさに義王の代理人に等しい方だ」
中原の人々は口々に界號の行いを褒めた。
賛辞を受けた身としては悪い気はしなかった。しかし、界號からすれば秩序を乱そうとした源桓が覇者の地位から滑り落ちただけで十分であった。これで義王を御簾の外に出そうとする者はいないだろう。界號に平穏な日々が戻っていた。
義王の喪が開けた。
義毘は義央宮の一番奥にある祖霊の間にて一年が過ごしてきた。その間、外に出ることもできず、わずかに身の回りをする宦官が一人出入りするだけであった。
ちょうど服喪は終わるその日、祖霊の間の前で界號は義毘が出てくるのを待った。従えているのか家宰の賈陰のみ。ちなみに義央宮で働く人々も実は界家もしくは賈家の人間、もしくはその家臣で構成されている。これは義王の家臣は七国の国主のみという建前があるためだった。
「主上、まもなく夜が明けます」
賈陰が耳打ちすると、界號は頷いて手を上げた。扉の前で控えていた従僕達が太鼓と鐘を七回打ち鳴らし、扉を開けた。
中から義毘が出てきた。界號が始めてみる義毘であった。界亜伯の言ったとおり、見た目普通の青年であった。大きくもなければ小さくもない体躯。特徴を上げろと言われれば困惑してしまう顔立ち。普通に界畿の街中を歩いていたら商家の若主人と間違われてもおかしくなかった。
「王よ。お初にお目にかかります、界號です。こちらは我が家宰の賈陰。長きの渡る服喪、お疲れ様でございました。よくなさいました」
界號は型通りの挨拶をした。
「そうか」
ひどく甲高い声であった。膝をついて拝している界號達を睨みつけるようにじっと見ていた。
『なんと不躾な視線だ……』
界號はやや不快になった。相手が王なのだから、臣下の界號に対して尊大な態度を取るのは当たり前ではあった。しかしこの場は、一年間に渡って職務を代行してきた界號に対して労わりの言葉を与えるものであるし、傳役からそのように教わっているはずなのである。
『亜伯は何を教えていたのか?』
あとで問わねばなるまい、と思っていると、義毘はその場から動かず、じっと界號を見ていた。表情の読めぬ顔をしている
「これから余はこれからどうすればいいのだ?」
ああ、と界號は得心した。この王は何も知らぬのだ。界亜伯から勉学として様々なことを教わっていても、現実というものを知らないのだろう。祖霊の間から出てきた義毘は謂わば赤子と同じであり、界號が母のように教育していかねばならないのだ。
『私が界公となった時、義典様がすでにできあがった王だったのだな』
ある意味で義典が自分を界公として育ててくれた。次は自分がこの王を王として養育せねばならないのである。
「次の間まで行き、そこで衣服を改めていただきます」
「そうか」
義毘は素直に応え、歩き出した。次の間に入り、侍女達の手を借りながら、義王の服に着替えた。着替え終えたところで、界號は準備していた桐箱を手にして、義毘の前で傅いた。
「これは王の仮面でございます。古式に乗っ取り、奥より出られる時はこの仮面をお付けください。これは五代目義王、義充様が仮面をつけてからよく中原が治まったという故事に倣い、行われているものです」
「そうか」
と言って義毘は仮面を両手で持った。義央宮の庭に自生している霊木といわれている木を削り、表面を黄土色の染料を塗った仮面である。勿論、義充が実際に使ったものではなく、何度か作り直されていた。
義毘は仮面を手にしながらもじっと見つめるだけでつけようとはしなかった。まさか仮面のつけ方が分からぬわけではあるまい。
「王よ。如何なさいましたか?」
あるいは仮面をつけることに抵抗があるのかもしれない。そうだとすれば、この王もまた父上の破壊者だ。どう教育していけばいいのか、背中に冷たいものを感じた。
「随分と古い面のようだな。やや臭う」
義毘はわずかに笑い、仮面を顔につけた。ほっとした反面、感情に乏しいと思われた義毘に意外な一面を見た気がした。
「左様でございますか。しかし、その面は洗ってはならぬというきまりがありまして……」
そうか、と籠った義毘の声がした。
「後ほど臭いをとる方法があるか調べてみます」
そうか、とだけ義毘は言って歩き出した。




