仮面の理~7~
屋敷に戻った界號は早速に賈陰を呼び出した。源桓とのこと、そして界亜伯との一連の会話を包み隠さず話した界號は、各国への根回しをどのようにすればいいかと相談をした。
「静公も各国への根回しをするでしょう。同時期にこちらが動けば、単に主上と静公が争っているように見られてしまいます。これは面白くありません」
したり顔の賈陰は澱みなく答えた。予め界號からこのような質問があることを想定していたようだった。
「確かにそれはよろしくない。あくまでも中原の秩序は保たれていなければならない」
秩序は守られなければならない。
「しかし、静公がなさることは僭越。中原のためにも彼の野望は阻止せねばなりません」
「野望?」
「静公は義王に取って代わって中原の王とならんとしているのです」
「待て待て。静公は義王にお出まし願おうとしているのだぞ、王とならん野心までは考えておるまい……」
と言って界號ははたと気が付いた。賈陰が何を考えているのか察した。
「そうか。そのような流言を流すのだな」
「左様です。ですから静公が各国へ使者を出してから流言を流すのです。各国の国主が静公へ猜疑の目を向けることになるでしょう」
「しかし、静公は一応覇者を気取っている。中には静公が王となることを賛同する国主も現れるかもしれんぞ」
そうなれば秩序は乱れる。
「おるかもしれません。しかし、全員が全員そうではありますまい。特に翼公は静公が覇者とされていることを面白く思っていないといいます。要するに国主達の間に不和を生みさえずればいいのです」
なるほど、と界號は思った。各個国主との駆け引きというものは必ずしも完全な形を必要としないのかと目から鱗であった。
「良き知恵を授けてくれた、賈陰。これからも頼む」
「勿体ないお言葉です。これしきのことは家宰の務めとして当然のことです」
後のこともお任せください、と賈陰が言ってくれたので、界號はすべてを有能な家宰に委ねることにした。
賈陰の予測通り、国に戻った源桓は各国の国主に使者を出して、義王を中心とした中原の政治に戻すべしという主張を訴えた。源桓の腹心という異名を頂戴している泉公は即座に賛意を源桓に伝えた。他の国主も概ね同調する意向を示したが、翼公―翼比は不快さを感じていた。
『静公はどうしてこのようなことを言っているのだ』
覇者を自認する源桓が、どうして覇者としての地位を手放すようなことを言うのか。それが翼比には不審に思えた。それからしばらくして重臣が商人から仕入れたという噂話を翼比に伝えた。
「静公が王になろうとしているだと?」
「はい。商人どもが噂している程度のことですが……」
「ふむ……」
翼比は考え込んだ。源桓は覇者としての実績と名声を得ている。今更王という地位を得てどうとするつもりなのだろうか。
『これはあくまでも噂だ。義王に中原の実権を返そうとしているのに、この噂はその行為と反している……』
根も葉もない噂であろう。しかし、どうしてこのような噂が流れているのか。翼比はそこまで思考を巡らした。
『静公に遠慮して表向きは賛意している国主の中に、実はそれを望んでいない国主がいるということか……。それとも義王に実権を返したうえで簒奪するつもりか……』
後者はどうにも考えにくい。やはり前者の方ではないか。どちらにしてもこの噂は、源桓の覇者としての振る舞いを認めたくない翼比にとっては好都合であった。
「余は不同意であると伝えることにしよう。静公の意図がどこにあるにせよ、今の中原は今の形で秩序が守られている。それを崩すような真似は逆に義王の宸襟を騒がせ、中原に混乱を生むだけではないか」
翼比は臣下の前で宣言するだけではなく、不同意を表明する書状を源桓に送り付けた。
翼比からの書状を受けた源桓は一読して嘆息した。
「翼公は我が意を理解しておられぬ」
翼比が提案を拒否したのは、単に自分の主張を翼比が正しく理解していないからだと源桓は思った。まさか覇者として振舞っている己に対して翼比が快く思っていないなど、覇者として自信を持っている源桓が知る由もなかった。さらにいえば、界號が裏であらぬ流言を流しているということも源桓が想像できることではなかった。




