仮面の理~1~
王が死んだ。
義央宮から棺が運び出されていく。白い装束と黒い装束を着た官人が二人ずつ左右に分かれて棺を担いでいる。棺に続いて十人ほどの官人が同じような装束を着てゆったりとした歩調で歩いているが、別に意味があるわけではない。義王の葬列ではそのようにするようにと決められているからやっているだけだった。
その葬列を見守る者は少ない。義王の出棺は夜に行われ、見送る人々も限られている。義央宮に仕える官人の中でも義王に近かった一部の者達と各国の国主だけであった。
尤も国主という地位でいるのは界公―界號だけ。あとは国主代理として弔問使が各国から来ているが、国主ではないので死後であっても義王を見ることができず、この場にはいない。今頃は宿舎で宴席を開きながら互いの国の情報でも交換しているのだろう。
『ご苦労なことだ……』
界公である界號には無縁のことであった。義王の補佐を務める界公は他国と争うことも同盟を組むようなこともない。界公の指名は、しきたり通りの葬儀を遂行し、無事に終えるだけであった。
第十八代目の義王―義典が亡くなったのは一ヶ月も前のこと。一年ほど前から病がちで余命長くないだろうと言われていたので、界號としてはその死に驚くことも悲しむこともなかった。ああ、葬儀をしなければならないのか、と思う程度だった。
界號は義典がいよいよ危なくなると聞かされた死の二か月前から準備に入った。まずは各国の国主に義王が余命いくばくもないことを伝え、王の葬儀がどのように行われたかを確認せねばならなかった。
この点、界家とはまこと律義な家系であった。式典祭事にまつわる詳細なやり方など記した書物が残されている。界號は必要なものを紐解き、書かれている内容の通りに実行するだけであった。
棺が界號の前で止まった。界號は棺の前で跪き、地面に手を突き、額も地面に付けて大きな声で泣いた。勿論、本当に泣いているわけではない。涙など一滴も流れておらず、ただおんおんと声をあげているだけだった。これも書物に記されていた儀式のひとつである。『涕泣の儀』というらしく、本来ならばすべての国主がこれを行うのだが、国主の立場にいるのは界號だけ。界號だけが泣く演技をしなければならなかった。
この儀式もまた何故するのか分かっていない。義王の死を嘆き悲しむためのものなのだろう。界號からすれば儀式の意味などどうでもよく、また義典が死んで悲しいわけでもなかった。ただせねばならぬとされているからしているだけであった。
界號の涕泣の儀が終わると棺が動き出した。何事もなかったように立ち上がった界號は棺を見送った。棺はこのまま御陵へと葬られる。御陵までは界號は同行しない。棺を担いだ官人だけで行う。これもしきたりである。これで葬儀のほとんどが終了する。
「さて……」
界號の仕事はこれで終わりではない。これから各国の弔問使がいる宿舎に言って葬儀が恙無く終了したことを報告せねばならない。
しかし、そのまま宿舎に行ってはならない。一度屋敷に戻り、冷水をもって身を清め、衣服を改めなければならない。
屋敷に戻ると家宰の賈陰が門前で待っていた。普段であるならば、お疲れ様でございました、などと声をかけてくるのだが、今宵は声をかけてこない。これも定められた行いであった。
界號は玄関先ですべての衣服を脱ぎ捨て、家屋の中にあがらずに全裸のままで井戸端に行き、井戸水をくみ上げ頭からかぶった。身を斬る様な冷たさであった。これを七度行う。七度目に水をかぶった時にはすでに冷たさを感じないほど麻痺していた。
「お疲れ様でございました」
ここでようやく家宰の賈陰が声を出した。賈陰が差し出した手ぬぐいを受け取り、体をぬぐった。次に賈陰が真新しい衣服を盆に載せて持ってきた。界號は黙ってそれを着た。そのまま井戸の淵に腰を掛け、足を賈陰に拭わせて綺麗にした。
「儀式とはいちいち面倒なことだな」
ここで界號はようやく声を出した。
「儀式とはそういうものです」
賈陰が足をぬぐっていた手ぬぐいを傍にあった革袋に入れた。この革袋には先程界號が玄関先で脱ぎ捨てた衣服が入っている。この後、これらはすべて燃やされる。
「面倒ではあるが、その通りにやっておればそれで済む。政治などに比べれば、遥かに楽なことだ」
界公はほぼ政治というものをしない。国都の界畿以外に大きな邑はなく、国家の予算は各国から献上される金銭だけで十分賄えた。要するに政治などをする必要がなく、界公の仕事は義王の補佐と儀式だった。
「行ってくる。すぐに済ませるつもりではあるが、帰る頃には日も上っているだろう」
「では、朝餉を用意してお待ちしております」
賈陰は一礼をもって界號を送り出した。




