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七国春秋  作者: 弥生遼
浮草の夢
706/964

浮草の夢~84~

 秋桜の処刑は源代が失踪した翌朝に行われていた。

 刑の執行に立ち会ったのは源円と源真、そして斑諸。場所は後宮の秋桜の私室となった。

 源円が先頭になって部屋に入ると、秋桜は窓辺の椅子に腰かけており、源円の姿を認めると座りながら一礼した。その顔は全てを悟ったように澄み切っていた。

 『やはり美しい女性だ』

 これより後、彼女以上に美しい女性に出会えるだろうか。源円は助命したい気分をぐっと堪えた。

 「頓秋桜。朝議の決定により死罪とする」

 法官が進み出て刑を告げた。罪状はなかった。ただ民の声が源冬の失政に対して贄として秋桜の死を求めているだけであり、静国の法律に秋桜を罰すべき罪などひとつもなかった。

 秋桜は黙って頷いた。抗ってくれないのか。もし秋桜が抗う言葉を口にすれば、源円はそれをもってして助命できるかもしれない。源円の微かな希望は、秋桜の沈黙によって雲散した。

 「かつての公妃という立場を尊重し、刑の執行は非公開とし、主上の慈悲をもって服毒をもって行う。感謝するように」

 法官が冷厳に告げると、秋桜はわずかに瞼を閉じた。

 「最後に言い残すことはないか?」

 法官が促すと、秋桜はわずかに瞼を上げた。

 「ありません。これでお父様のもとへ行けます。所詮は浮草の夢だったのです」

 それきり秋桜は口を閉ざした。法官が盆に乗せた毒入りの葡萄酒を差し出した。秋桜は躊躇うことなく葡萄酒の注がれた杯を手にした。

 「待て」

 源円は思わず言ってしまった。だが、次の言葉が出てこなかった。源真が源円の服の袖を引っ張っていた。

 秋桜自身も待たなかった。杯を手にすると、葡萄酒を一気に飲み干した。

 「うっ」

 わずかに呻き声を漏らした秋桜は、杯を落とし、そのまま床に倒れた。わずかばかり手が痙攣したが、それもすぐに止まった。医師がかけより首に手をやって脈を取った。

 「お亡くなりになりました」

 医師が告げると、源円がくっと嗚咽した。

 「これにて刑の執行を終了する。このことを天下に報せ、それをもってして一連の処罰を終了とする。なお、亡骸は御陵に埋葬すること」

 本来、源円が言うべきことを源真が変わって言った。それを待っていたかのように法官に促されて棺が運び込まれ、秋桜が納められた。

 「主上。先代には私が申し上げましょうか?」

 「いや、余が行く」

 源円は明かに肩を落としていた。

 「浮草の夢か。儚い夢だと言いたいのなら、よき夢であっただろうに」

 だから潔かったのか、と源真は独り言を言って部屋を後にした。


 退位して以来、源冬は奥宮の一角で生活をしていた。先の国主として礼節を欠くことのない待遇を受けていたが、その一角から出ることはできず、当然ながら秋桜に会うこともできなかった。

 世話をする宦官も侍女も、警備をする兵士達も源冬が知らぬ者ばかりであり、少しでもその一角から出ようとしようものなら、

 「これより外から出られないようにお願いします」

 必ず制止された。

 「我は源冬であるぞ」

 と言っても、主上のご命令ですので、と冷たく返されるだけだった。もはや先の国主という立場は何も神通力を持たなかった。

 秋桜が処刑された朝も、源冬は奥宮にある寝室で目を覚ました。この時すでに秋桜は泉下へと旅立っていた。その気配を感じない源冬は朝食を済まし、さて読書でもしようと思っていると、源円が入ってきた。

 「父上、ご報告せねばならぬことがあります」

 源円が悲し気にそう切り出したことで源冬は瞬時に察した。

 「秋桜を弑いたか……」

 「はい。やむを得ないことでした」

 「な、何故だぁ……」

 源冬は拳を握り締めて大粒の涙を流した。

 「秋桜が何をした!秋桜は我の単なる寵姫であり、妃であった。政治には何も口出しをしていないし、贅沢も望んでいなかった。もし、失政を罰せられるのなら我だ。それならば我を処刑すればよかったではないか!」

 「左様です。失政の責任は父上にありましょう。しかし、だからといって父上を処刑するわけには参りません。秋桜には失政の象徴として贄になってもらわねばなりませんでした」

 「頓庸や高薛では足りぬと言うのか。それならばなおのことを我を罰して欲しかった……」

 「父上。秋桜は死ぬ間際に浮草の夢と申しておりました。秋桜は失政という汚泥を隠す浮草だったのかもしれません」

 「知ったことを言うな!」

 源冬は手にしていた本を源円に投げつけた。本は源円に当たらず、虚しい放物線を描いて床に落ちた。

 「これよりは心安らかにお過ごしください」

 源円が一礼して部屋を出ると、源冬は大きな嗚咽も漏らした。源円としても涙を禁じえなかった。

 源冬は秋桜の死から一年後に没した。秋桜の死を知ってからは抜け殻のようになり、部屋から出ることも稀であった。

 源円は父の葬儀を盛大に行い、その亡骸を秋桜の隣に葬った。それが源円にとっての最後の親孝行となった。

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