浮草の夢~78~
一体、どれほどここにいればいいのか?
それは衣泉にいる者すべてが抱く、疑問である不安でもあった。漏れ伝わってくるか細い情報によれば、安黒胡は大軍を率いて吉野を出陣したらしい。その矛先が衣泉に向かってくると誰しもが思っていた。
しかし、吉野を脱出して半年、思いもよらぬ情報が飛び込んできた。
「吉野を奪還しただと?」
源冬は驚きのあまり叫びながらも、誤報ではないかと思った。いくらなんでもそう易々と吉野が奪還できるとは思えなかった。安黒胡がそれほど粗漏ではあると考えられないし、そもそも吉野を奪還できるだけの戦力がどこにあるというのだろうか。
「どうやら公孫と林将軍のようです」
報告する頓庸はやや顔を歪ませていた。国都奪還の功績を他者に取られたのが、当然ながら悔しいのである。
「そうか、真か。やりおる」
源冬は身を乗り出して孫の偉業をたたえた。さらなる詳報を待っていると、源円が軍勢を率いて衣泉にやってきたのである。
「円!生きておったのか!」
源冬は涙を流し、我が子の生存を喜んだ。吉野での戦いは衣泉でも語り草になっており、太子円の奮戦を褒めぬ者はいなかった。
「私のことよりも、主上が御健勝で何よりです」
「うむうむ。それで吉野は本当に奪還できたのか?」
「はい。真と林将軍が奪還し、堅持しております」
源円は仔細を語り始めた。
藤純が蜂起した時、源真には安黒胡が助けに行くという確信があった。
「万が一、吉野に居座ればどうなさいます?」
林房が疑問を呈すると、源真は愉快そうに首を振った。
「それはない。安黒胡は絶対に腰を上げる。何故なら奴らはいずれ食糧問題に突きあたる。外に出ざるを得なくなる」
源真の確信はそこにあった。源真の謀略により吉野の食糧問題はいずれ深刻化する。安黒胡は引き連れてきた軍勢を食わすためには外に戦いに出なければならなくなるのだ。
「なるほど」
「将軍、すぐに立つぞ。関将軍と言えどもいつまで紫水を保てるか分からん。とっとと吉野を奪還して助けてやろう」
「公孫。それならばもっと安黒胡が吉野から離れてからの方がよろしいのではないでしょうか?」
「いや、すぐにやる。天下の耳目を吉野に集めるのだ。瞬く間に吉野を奪還したとなれば、我らの人気は天を突くほどに回復するぞ」
源真は戦術的優位よりも戦略的な効果を狙った。今、源冬を国主としての威厳を失っている。それは源家そのものであるといってもよく、源家がこれらか国主の座に返り咲き、末永く静国を治めることを考えれば、源家の人気を回復させておかなければならなかった。
源真と林房はわずか千名ばかりの兵を引き連れて北上した。安黒胡は吉野を留守する戦力を残してはいたが、わずか二百名程度であった。この残留した戦力はまるで士気が振るわなかった。食糧が不足しつつあるということもあったが、吉野の民衆からすれば若く健気に国都を奪還しようとする公孫に味方したいという気分もあり、残留する将兵達の居心地は極めて悪かった。
そこへ吉野近郊に到達した源真は、
「聞け!吉野を守る者共よ。大人しく降れば、謀反を起こした罪を許すだけではなく、望むのであれば我が軍で働くことも許すぞ」
吉野に残る守備兵にそう訴えかけ、抵抗することなくあっさりと降伏させた。源真は約束通りに安黒胡に属していた守備兵を味方とした。
「さぁ、安黒胡が顔を真っ赤にして戻って来るか。それとも……」
まさらに電光石火の早業で吉野を奪還した源真は次なる一手を打つことにした。それは父である源円をもっとして源冬を迎えに行かせることであった。単に迎えに行かせるだけではなかった。源冬に重大な決断を迫るためでもあった。
「そうかそうか。真には褒賞を授けなければな。いや、あれももういい大人であろう。将軍の地位か閣僚の席をやってもいいか」
源円から話を聞いた源冬は悲しくなるぐらいに浮かれていた。源円はそんな老いた父を見て密かに涙すると同時に、源真から言われたことを実行するのに躊躇いがなくなった。源円は源冬に人払いを願い出た。気分のいい源冬はそれを許した。
「吉野に戻るにつきましては、ひとつお願いがあります」
「何だ?そうだな、お前も吉野で頑張ったのだから、何か褒賞をやらればならんな。申してみよ」
「国主の座を退いていただきます」
源円の口調には有無を言わせぬ力強さがあった。




