浮草の夢~76~
安黒胡の下を去った藤純は、かつての東方海賊の拠点に戻り、海賊勢力の再編を行った。安黒胡が吉野に到達する頃には以前ほどの規模ではないにしろ一角の勢力を構築することができた。本来であれば東方海賊の再生に一年近くかけるつもりであったが、安黒胡が思いの他早く破竹の勢いで進軍したので、まだ不完全な状態で決起することにした。
「安将軍はすでに吉野を攻略している。これを支援するためにまずは紫水を攻める」
藤純は東方海賊再起の最初の餌食を紫水に選んだ。紫水は東方海賊が拠点にしていた群島から一番近い港町である。これを占拠することによって静国本土における橋頭保を確保することを目的とした。
「今や安将軍は旭日の勢いである。その味方である我らが攻めれば、数日して紫水は掌中に入るだろう」
藤純はそう豪語して、東方海賊の新たな門出を祝う贄とするつもりであった。しかし、藤純の計画は早々に頓挫する。
紫水には南方駐屯軍の将である関朝氏が守将として赴任していた。関朝氏は南方駐屯軍の大将である林房の部下であり、林房にも劣らない武骨な猛将であった。
「安黒胡が決起した今、反乱の野火は全土に広がるだろう。これを討伐するには海上勢力は必要不可欠になる。早々に港町である紫水を押さえておいた方がいい」
林房は身を寄せている源真と協議し、紫水を勢力下に置くために関朝氏に軍勢を授けて派遣することにした。
「流石は公孫と林将軍よ。まさに読み通りに賊徒が攻め寄せてきよったわ!」
関朝氏は藤純が再編した海賊船団を水平線の向こうに認めると、手を打って喜んだ。まだ出陣していない南方駐屯軍においてまず最初に手柄を立てる機会が訪れたのである。
「よいか。敵は海上での戦闘には慣れている。おそらくは我らよりも強い。従って我らは海には出ず、陸地において水際で敵を阻止する」
関朝氏は船を出して迎撃することを放棄し、敵が上陸してくる水際を狙うことにした。埠頭近くの海に大量の木箱を投棄して大型船が入れぬようにし、港口から市街地へと続く道には幾重にも柵を設けた。
「敵はここを拠点にするつもりだから火攻めはない。我らは柵のうちより敵を引き付けて矢を浴びせればいい」
関朝氏は防戦することを徹底させた。
藤純は防備に徹している紫水の様子を遠望して多少の焦りを感じた。安黒胡が吉野を攻めんとしている現在、敵が紫水を死守するようなことはあるまいと思っていたのだが、見事に裏切られる形になった。
「どうせ形ばかりの防御だ。一気に圧し潰すぞ」
藤純は虚勢を張って命じるしかなかった。安黒胡に大言して決起した以上、引き下がることができなかった。
海上に浮かぶ木箱の群を見た藤純は大型船での上陸を諦め、小型の揚陸船で上陸を試みることにした。それで海に浮かぶ木箱は邪魔であり、中には波で大きく揺れる波に押されて転覆する船もあった。
上陸できた部隊もあったが、関朝氏の命令一下、柵から決して出てこない関朝氏軍の将兵は、柵のうちから矢を射掛けたり、地の利を活かしてあらぬ場所から出没して奇襲をしかけたりして藤純達を翻弄し、その都度撃退していった。
「これはどうにもならん」
三度目の上陸攻撃に失敗した藤純はやむを得ず安黒胡に協力を要請することにした。陸と海から攻めれば流石に陥落するだろう。藤純はまだこの時は楽観していた。
藤純を援護すべきか。即断できなかった安黒胡は弟の息子に意見を求めた。
弟である安義四は救援すべきだと返事した。
「助けるべきです。藤純将軍は我が同志。これを助けずしてどうして天下国家を治められましょうか」
安義四としては安黒胡と藤純を引き合わせて、今回の決起を促しただけに見捨てることができなかった。これに対して安遁は猛反対した。
「助けるべきではありません!今、主上が為すべきことは国家を誤らせた巨悪を追い、血祭りにあげることです。紫水など巨木の小枝でしかありません」
二人の意見は真っ二つに割れ、安黒胡をさらに悩ませた。しかし、長く悩んでいる場合ではない。安黒胡は決断を下さねばならなかった。
「藤純を救援する。左大将に三百名の兵を授ける」
安黒胡が示したのは折衷案と言えた。藤純を助けるが、大軍ではない。そうすることにより両者を立てることにした。
「三百名では助けられるかどうか……」
安義四は不服そうであったが、一応は意見が通ったので藤純救援のために出発した。
安義四の不服と不満は現実のものとなった。三百名程度の救援では助けにもならず、紫水は関朝氏によって堅守されていた。いよいよ安黒胡自身が出撃しなければならなくなった。
実はここ最近、さらに食糧問題が深刻化してきた。相変わらず食糧の入手が非常に困難になっており、このままでは将兵を食わす食糧が完全になくなってしまう。
「一層の事、出陣して地方で徴発した方がいい」
そう判断した安黒胡はわずかな守備兵だけを残し出撃した。これに丞相である安遁も帯同した。この親子が国都吉野に帰って来ることはなかった。




