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七国春秋  作者: 弥生遼
浮草の夢
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浮草の夢~74~

 吉野を脱した源冬達は衣泉へと向かった。五十乗にも及ぶ馬車の隊列というものは普段の行幸でもなかった規模であり、事情を知らぬ者が見れば都落ちをしている集団であるとは思わないだろう。

 見かけの壮大さに対して、この集団の空気は重たい。静国始まって以来初めての都落ちであるから重苦しい雰囲気になるのは当然であった。それでも多くの者はこれが一時的な避難であり、半年もすれば吉野へと帰れると信じて疑っていなかった。

 「すぐに天下に義軍が起こり、主上をお助けするであろう。すでに南方で林房将軍が兵を集めているぞ」

 頓庸はまるでそれが自分の手柄であるかのように触れて回り少しでも重苦しい空気感を解放させようとした。林房が活動を起こしているのは事実であるが、それを行っているのは源真であった。

 道中の源冬はやや憔悴としていた。源冬の様子を見た誰しもが都落ちで気落ちしているのだと思っていたが、事実はそうではなかった。秋桜が道中、体調を崩して軽い発熱を繰り返していた。

 「慣れぬ環境が秋桜の体に障ったのか……」

 源冬が都落ちのことを悔いた言葉を漏らしたのはこれが初めてであった。

 そもそも秋桜は貧しい邑に生まれ、頓淵啓の屋敷では毎日のように労働していた。軟な体質ではなかったが、源冬に見初められ寵姫となってより、虚弱な体質になっていた。

 「どこかで秋桜を休ませてやりたい」

 普段の行幸ならばどこかで長逗留して体力が回復するのを待っても良かったのだが、安黒胡軍がいつ追撃してくるか分からない状況下ではそのようなことを許す時間はなかった。

 「事が事です。今は衣泉に急ぎましょう。かの地の到着すれば、公妃様も十分にお休みできるでしょう」

 高薛がそのように窘めたが、なかなか熱が下がらぬ秋桜を見て源冬は痺れを切らした。

 「近くに興裴政の屋敷があろう。そこを摂取して秋桜を休ませろ。これは勅命ぞ。できぬというのであれば余はここから一歩も動かん」

 源冬は子供のような駄々をこねはじめた。困り果てた高薛は頓庸に相談した。

 「勅命とあればやむを得まい。興家の屋敷を接収しよう」

 頓庸としても姉である秋桜の状態は気がかりだった。


 興家は決して裕福ではなかった。それでも静国では開祖から続く名家のひとつであり、貧しくともそれを誇りにしていた。当主である興裴政も吉野での変事を知ってからは、

 「もし主上がこの興家を頼って来た時は微力ながらも誠心誠意をもってお助けするのだ」

 決意を顕にしていた。そして源冬の使者が興家の屋敷に飛び込んできた時には全身が熱くなるのを感じたが、使者が告げた内容に愕然とした。

 「頓女のために屋敷を譲れと……」

 興裴政は秋桜の蔑称である頓女という単語を使者の前で漏らしてしまった。それほどの衝撃であり、体が急速に冷えていった。

 「これ、興裴政!無礼であるぞ!」

 「無礼とは何か!我が興家はそのようなために代々源家に仕えてきたわけではない!」

 ましてや源冬の政道を誤らせたといわれた秋桜である。秋桜は今や天下の怨嗟を集めている。そのような女のために便宜を働きたくなかった。

 「お、畏れを知らぬものよ!これは勅命でもあるのだぞ!」

 「そのような勅命、我が国開闢以来聞いたことがない。そもそも勅命とは国家にまつわる命令のはずだ。主上の私的な命令を勅命などとは言わぬ。それでも頓女をこの屋敷で休ませたいのなら主上自ら来るべきではないか!」

 興裴政の発言は正論ではあった。しかし、平時であるならば間違いなく不敬に問われるものであった。使者は自分が侮辱されたとばかりに席を蹴って興裴政の屋敷を飛び出し、一部始終を源冬に報告した。顔を赤くして唾を飛ばしながら報告する使者の言葉を聞いた源冬は一瞬だけ顔を赤くさせたが、やがて無表情になり顔をわずかに伏せた。

 「主上、如何なさいましょう?」

 高薛が訊ねると、源冬は顔を上げた。わずかに瞳に涙をためていた。

 「興家は勅命に逆らった。こうなれば力づくでも屋敷を接収するのだ」

 高薛は頷くしかなかった。きっと源冬は自分の行いがいかに愚考であるか気が付いているであろう。気が付いていても今更退くに退けなくなって自暴自棄になっている。源冬はそんな自分が口惜しくて涙を流したのだろう。高薛にはそのように思えてならなかった。

 源冬の命令によって興裴政の屋敷は、帯同していた近衛兵によって占拠され、興裴政は屋敷を追い出された。命を取らなれなかったことが源冬の見せた優しさであったのだろうが、怒りの収まらぬ興裴政は近隣の領主に助けを求めた。近隣の領主は興裴政に深く同情し、源冬という君主に失望した。源冬は威望を失うことで、秋桜を休ませる屋敷を手に入れることができた。


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