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七国春秋  作者: 弥生遼
黄昏の泉
69/963

黄昏の泉~69~

 突如として湯瑛軍が撤兵した理由を聞いた相宗如は、ただ驚くばかりであった。

 『樹弘はここまで来たのか……』

 相史博が泉春近郊の全兵力を動員したからには、樹弘が軍を発するのは目に見えていた。その行き先は泉春かその周辺だと相宗如は思っていた。しかし、樹弘はそれらを無視し、一気に湯瑛軍を討ちに来たのである。しかも湯瑛軍を散々に討ち破ったのである。

 さらに日を追って入ってきた情報によれば、樹弘は翼公と面会し、翼公の軍を撤兵させたというのである。それは即ち、翼公が樹弘のことを泉国の真主であると認めたことに他ならなかった。

 『次に樹弘は泉冬に来る……』

 きっと十重二十重に泉冬を囲み、凄絶に攻めてくるに違いない。もはや相宗如軍にはまともに籠城戦できる兵力も残されていなかった。

 「備峰。まもなく樹弘軍が来るだろう。その時は私の首を持って使者となって欲しい」

 相宗如は備峰を招いてそう言った。

 「何を仰いますか。この私がまず使者として赴き、弁舌を持って樹弘を篭絡してまいります。もし樹弘が激高し私を切ったならば、そのことを笑いものにして存分に戦ってください」

 「何を言うか。部下を死なせたならば、笑い者になるのは私だ。私の首を持ってすれば、将兵達も助かろう」

 備峰は黙り込んでしまった。もはや相宗如に残された選択肢は確かにそれしかなかった。

 しかし、樹弘軍の動きは、相宗如や備峰の予測の範疇をはるかに越えていた。泉冬をまるで無視するかのように、南下を始めたのである。

 「樹弘軍はこちらに来ないのか……」

 相宗如はまたしても驚かされることとなった。

 「こちらを外に引きずり出すための作戦かもしれません」

 備峰はそう言うが、まずあり得ないだろう。そのような策を弄せずとも、数に勝る樹弘軍は相宗如軍を簡単に破ることができるのだ。

 『樹弘は本気で泉冬を攻めるつもりがないのか……』

 あるいは単に湯瑛軍の残党を追ったのかもしれない。ともかくも泉冬の危機は去ったことになる。

 「これで泉冬は救われましたが、今後のことはどうされますか?」

 やや脱力気味の相宗如は、備峰に言われてはっとした。もう相家には戻れないであろうし、独立勢力として割拠するにはあまりにも微力であった。

 『そういえば……』

 相宗如は、ふと姉である相蓮子からの手紙を思い出した。それが彼女からの最後の私信となったわけだが、その最後の一文をふと思い出した。

 『もし困難に直面したら樹弘を頼れ……か』

 相蓮子からの手紙には確かにそう書かれていた。最初に見た時は、どうして姉がこのような一文を残したか分からなかったが、今となっては相蓮子は今日のような事態を想定していたのではないだろうか。相宗如はそのように思えて仕方なかった。

 「備峰。私が取るべき道はもはやひとつしかないように思えるのだが……」

 「すべてはお心のままに。あらぬ疑いとはいえ丞相より敵とされた以上、相家より離反しても責められることではありますまい」

 理論的な体面に拘るのは、いかにも備峰らしい言い回しであった。しかし、相宗如としては相家を裏切ることにもはや抵抗はなかった。それよりも苦楽をともにした将兵達をいかに助けるかしか考えていなかった。

 「樹弘……いや泉公に使者を。相宗如は今をもって降伏する」

 言い終えた相宗如はすっと肩が軽くなった気がした。


 翼公との会談を終えた樹弘は、貴輝への帰還を命じた。これには甲朱関をはじめ、臣下達は驚かされた。

 「泉冬の相宗如を放置されるのですか?」

 甲朱関は樹弘の頭脳として戦略戦術面で異彩を放ってきたが、それでも樹弘の発想に付いていけないことがあった。しかもそれには誤りがなく、最良の結果を得てきていた。

 『主上には我々に見えていない世界がお見えになられているのだろう』

 今回もきっとそうだろうと思いつつ、甲朱関は言葉にして聞きたくなっていた。

 「相宗如はいずれ降伏するでしょう。攻める姿勢を見せて彼らを萎縮させる必要はありません」

 なるほど、と甲朱関は納得した。樹弘は降伏してきた相宗如とその配下を組み込む算段をしているのだ。今ここで泉冬を攻める姿勢を見せれば、彼らは降伏したとしても樹弘に対して決して良い感情を抱かないだろう。

 「左様でございますね。一応、後方は警戒しておきますが、おそらくは主上の仰るとおりになるでしょう」

 甲朱関がそう言った翌日、殿軍を任している田員から相宗如からの降伏の使者が来たという報せを受けた。

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