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七国春秋  作者: 弥生遼
浮草の夢
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浮草の夢~67~

 後に『平水・鵬谷の戦い』と言われる戦闘は、お互いがお互いを罠に嵌めてやろうとして動き出していた。但し、鐘欽は安黒胡の意図を正確に洞察していたが、安黒胡はまさか自分達の作戦が敵に気づかれているなど思ってもいなかった。

 「敵は予定通り平水を包囲したな」

 安黒胡は露台に登り、平水を取り巻こうとしている鐘欽軍を見渡した。

 「なかなか爽快なものです」

 と言ったのは安黒胡の息子である安遁であった。まだ十六歳ではあったが、父について戦場で数多くの戦場で活躍してきた見目がさわやかな若者である。自分の後継者として申し分ないと安黒胡は思っていた。

 「あとは義四次第よ」

 「父上。その叔父上のことですが、本当に救援に駆けつけるでしょうか?」

 安遁は叔父にあたる安義四のことをどういうわけか嫌っており信頼していなかった。

 「そういうことを言うな。将来、お前が儂の跡を継いだ時、あれを使いこなさねばならないのだぞ」

 「左様ですが……」

 安遁の安義四への疑心は叔父が自分を差し置いて安一族の頭目の座を狙っているのではないというものであった。勿論これは安遁の妄想でしかないのだが、やがて安一族にとっての悲劇となった。

 「遁よ。この戦が成功すれば安一族は静国の要職を占めることになる。そうなれば視野を広く見なければならん。お前が義四に面白からぬ感情を持っていたとしてもその感情を殺して遁を使うことを覚えねばならんぞ」

 「肝に銘じておきます」

 安遁は不承不承頷いた。


 鐘欽軍は包囲態勢を整えると、一斉に攻撃を始めた。その攻撃は苛烈を極め、安黒胡も安遁も各方面での防戦指揮に追われ、鐘欽軍の一部が密かに離脱したことに気が付いていなかった。

 それは鵬谷を密かに進発した安義四も同様であった。安義四は勇猛な武人ではあったが、多少性格的に粗忽なところがあり、広く斥候を出して詳細な情報を収集するということを怠っていた。

 「急げ!早くしないと兄貴と遁が平水の露と消えてしまう!」

 安義四のために弁明するならば、平水の救援に急いで駆けつけなければならず、斥候など出している暇がなかったということもあった。安義四は兄を敬愛し、甥を我が子のように思っていた。通常、二三日は掛かる平水までの行程をわずか一日で走破し、平水を囲む鐘欽軍の後背に進出した。

 「かかれ!敵は無様な背中を我らに晒しているぞ」

 鵬谷からの強行軍で将兵は疲れていた。しかし、安黒胡達を救わんと意気込む彼らは疲れを忘れ鐘欽軍の後背に襲い掛かろうとした。しかし、安義四からすれば、思うもよらぬ方向から鬨の声があがった。鐘欽軍の軍旗が突如として現れ、安義四部隊の左右から鐘欽軍が猛然と襲いかかってきたのである。

 「ちっ!敵の罠にはめられた!」

 自分達のが仕掛けようとした罠を逆に仕掛けられた。安義四は自分自身に腹立ちを感じながら、反撃を試みようとした。安義四は平水に籠る兵数よりも多いとはいえ、鐘欽軍全体からすると遥かに劣る兵数である。瞬く間に包囲され、苦境に立たされた。

 これを遠望していた安黒胡は下唇を噛み締めた。戦況は最悪な形となった。

 「すべては鐘欽の手の内にあったわけか!してやられたわ!」

 安黒胡はすぐさま安義四救援を命じた。しかし、安遁が安黒胡の袖を引っ張った。

 「父上。叔父上は助かりますまい。ここは見殺しにしても平水を死守すべきではないでしょうか」

 安遁の進言に安黒胡は顔をしかめた。

 「そういう考えがいかんのだ、遁よ。そのような見捨てた言い方をすれば将兵は付いてこなくなるぞ。二度とそのようなことを言うでないぞ」

 安遁は父である安黒胡から見ても将来が楽しみな若者であった。しかし、猜疑心が強く、一度猜疑の念を抱くと徹底して相手を疑いの目で見るところがあった。それで良き将になれず、良き頭目にもなれなかった。

 「ですが……」

 「それならばお前はここに残れ。俺が弟を助けに行く」

 猜疑心の強い安遁に対して安黒胡は一族や部下を信頼しきっていた。特に実弟である安義四については長年苦楽を共にしてきただけに、我が身の半身同然であった。

 「ここで義四を死なせては安一族の名折れよ。一族の者を見殺しにする汚名を被るぐらいなら、戦場で死せ!」

 安黒胡は自らを奮い立たせるように部下達を鼓舞して平水から出撃した。実際、安黒胡はここで死ぬつもりでいた。平水に籠っていても待っているのが死ならば、戦場で華々しく散ろう。そのつもりで安黒胡は自ら兵車に乗り込み、先陣に立った。このことが安黒胡にとって死地を切り開く切っ掛けとなった。 


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