浮草の夢~66~
鐘欽が軍を率いて北上してきたと知った安黒胡は、籠城すべきかどうか判断に迷った。
兵数の優劣を考えれば、圧倒的に劣る安黒胡軍は平水か鵬谷に籠るべきだろう。しかし、ずっと籠城していては、徒に兵力を消耗していくだけであり、兵力の限られている安黒胡軍はどんどんと不利になっていく。
「それに我らは君側の奸臣を除くという大義によって立ったのだ。不義の軍に一撃を加えて我らの正義を天下に示さなければならない」
そうしなければ安黒胡軍の存在意義がなくなってしまう。
「兄貴、一戦しよう。我らは野戦で勝利すれば同調して蜂起してくる勢力も出て来よう。それが藤純殿への手助けにもなる」
安義四も同じ意見であった。
「よし、野戦で戦おう。しかし、まともにぶつかっては不利になる。策を弄さねばならんな」
それに対する解答はすでに安黒胡の頭の中にあった。平水に籠るように見せかけて、大多数の兵を郊外に出して潜ませておく。そして鐘欽軍が平水を囲むのを待って、その背後を襲うというものであった。
「俺が五百名で平水に籠る。義四は早々に残りの兵を率いて鵬谷で息を潜めて待機してくれ」
「兄貴、それは危険だ。万が一のこともある。俺が平水に籠る」
少数で籠城する以上、鵬谷から救援が駆けつけるまでに陥落する危険性もある。旗頭である兄にそのような危険な役回りをさせるわけにはいかなかった。
「いや、俺でないと駄目だ。俺が平水に籠るからこそ敵の耳目を平水に集中させることができる」
そうではないか、と兄に言われると、安義四としては引き下がるを得なかった。兄弟は綿密な打ち合わせをして、安義四は敵の斥候が出現する前に軍勢を率いて鵬谷へと帰っていった。
鐘欽軍は北上する。斥候を各方面に出して情報を収集していった。
「やはり敵は籠城を選んだようです」
鐘孔は斥候の情報を総合的に分析した結果、そのような判断を下した。確かに斥候からの情報は、どれも安黒胡が籠城を選択したのを示すものであった。
『はたしてそうか……』
鐘孔の分析は論理的に正しい。しかし、長年戦場を渡り歩いてきた老将としての勘が違う答えを導き出そうとしていた。
『敵は少数だ。籠城という選択肢は当然だ。だが、一方で籠っていては先がないはずだ』
籠城というものは外からの救援がなければ消耗を強いられて終わるだけである。籠城戦での勝算は外からの救援がなければ成り立たない。そう考えると安黒胡が籠城戦に価値を見出しているとは思えなかった。
『孔は気が付くかどうか……』
今のところ、鐘孔はそこまで洞察していない。黙っておくべきかと思ったが、黙っていてはわざわざ戦場に鐘孔を連れてきた意味がない。
「孔よ。将帥の立場として戦場に立つなら戦術だけでものを見るな。戦術的に見れば敵の籠城は正しいものの見方だ。しかし、敵の戦略としてはどうだ。外に味方する勢力をもたない敵が籠城していても消耗するだけで勝算が立たないのではないか」
「つまり、敵が野戦をしかけてくると……」
鐘孔は決して愚鈍ではない。父が何を言いたいのか理解していたし、自分の意見を押し通すほど傲慢でもなかった。
「可能性の問題だ。十分に注意しておくに越したことはない」
「承知しました。斥候をもっと広範囲に出せ。敵のいかなる兆候も見逃すな」
鐘孔が配下に命令する言葉を聞きながら、鐘欽はひとまず満足した。
鐘欽軍は進軍速度をやや遅くした。斥候がさらなる情報をもたらすのを待つためであり、その甲斐あって有益な情報を得ることができた。
「敵は平水から大半の兵数を脱出させ、鵬谷に移したようです」
鐘欽軍の斥候は大胆にも平水からさらに北へと進み、鵬谷の様子も探ってきたのである。それによると、鵬谷周辺では食糧や医薬品の運び込みが頻繁に行われている様子で、馬のための飼葉も高く積まれているのを見たというのである。
「要するに敵は平水を包囲する我らの後背を襲うつもりでしょうか?」
鐘孔も軍事的な洞察に優れてきたようである。鐘欽も同じ見方をしていた。
「おそらくな。それにしてもその斥候は大したものだ。後で褒美を授けるように」
「承知しました。それでこれよりどう致しましょうか?」
「ここはひとつ、敵の狙いに乗ってやろう。但し、我らも一部兵力を外に置いて、後背を襲って来た敵を逆包囲するのだ」
鐘欽としてはそれでほぼ勝算の目途が立っていた。




