浮草の夢~54~
吉野に到着すると、清夫人と趙鹿は別々の地下牢に投獄された。
「私は主上の夫人よ!このような待遇が許されようか!」
清夫人は鉄格子に縋り、必死になって訴え続けたが、この時すでに清夫人は夫人の地位をはく奪されている。煩雑さを避けるために、以後も清夫人として話を進めていく。
源冬は源円が吉野に帰って来るのを待って源円、頓庸、高薛の三人を召した。その場で源円は清夫人の離宮で発見した呪詛の証拠を開陳した。明確過ぎる証拠であり、源冬としてももはや疑う余地がなかった。
「よくぞ大罪人を取り押さえた。円、褒詞を授ける」
「ありがたき幸せ。ですが、今回の件は頓庸殿と高薛殿が暴き出したものです。私は捕縛を手伝ったにすぎません。どうか褒詞と褒賞は二人にお授けください」
源円は頓庸と高薛に手柄を譲った。これも源真の入れ知恵であり、二人に恩を売ると同時に、この後宮で発生した事件の中から自分の名前を薄くする狙いがあった。
「太子は謙虚だな。分かった。頓庸と高薛には厚い褒賞を授けるだろう。それはそれとして、呪詛を行おうとした二人をどうするかだ」
呪詛は大罪。それは源冬も知っていた。しかし、静国の歴史において宮城で呪詛が発覚したことなく、従ってどのような罪科が課されたのかも先例がない。早馬によって報せを受けてから法官に他国のことを調べさせたが、わずかに数例あるだけであり、いずれも死罪であった。
『清を死罪にすべきかどうか……』
それが最大の問題であった。趙鹿の死罪はすでに免れない。しかし、清夫人は界国重臣の娘である。宦官である趙鹿とは命の重みが違った。
『清を死罪にすれば界国と軋轢を生むかもしれない。だが、呪詛という大罪に対して減刑すれば、将来に対して良き凡例とならない』
源冬が悩んだのは清夫人に愛情や憐憫があるわけではない。もし清夫人が単なる寵姫であったなら迷いなく死罪としただろう。界国重臣の娘という地位だけが源冬にとっての引っかかりとなっていた。
「主上、申し上げてよろしいでしょうか?」
源冬の迷いを察したかのように頓庸が申し出た。
「よい、申してみよ」
「主上の逡巡は夫人が界国重臣の娘であるということにあると思います。夫人を死罪にすれば界国との関係に問題が発生するかもしれぬと思われているのではないですか?」
「鋭いのう、頓庸は。いかにもそのとおりだ」
「臣といたしましては、そのようなお悩みは無用のことと考えております。夫人が呪詛を行おうとしたのは明白。その対象が我が姉である秋桜姫と代様であることもまた明白。もし、界国がこのことで横やりをいれてきたとすれば、かの国が呪詛を認めたということに他なりません。そうなれば笑ってやればいいのです。流石は呪詛をもって翼公を殺害した界国だと」
頓庸の言葉は実に整然としていた。聞きながら源冬は何度も頷いた。
「夫人は寵姫とは異なります。だからこそ大罪を犯して刑が軽いようでは示しがつきません。ここは速やかに死罪として、静国における法の重さを天下に示すべきです」
「頓庸の言うとおりであろう。清夫人と趙鹿は死罪とする。但し、清夫人への刑の執行は毒を用いて行うべし」
それが源冬が清夫人に見せた最後の優しさであった。
処刑は速やかに行われた。地下牢に投獄されていた清夫人は心身ともに疲労の極地に達し、顔は皺だらけになり、黒かった髪の毛もわずか二日で白くなっていた。それでも起きている時はずっと自分の無実を訴え続け、警備した兵士が精神に支障をきたすほどであった。
毒を持参した勅使が姿を見せた時も、自分の言い分を聞いてくれるのだと思い、喉から血が出んばかりに声をからして無実を叫んだ。
「これは頓女の陰謀ぞ。私は何も知らぬ!趙鹿が頓女と組んで仕組んだこと!」
清夫人はすべてを趙鹿に押し付けようとした。無論、そのような言い訳が通用するわけもなく、勅使は感情一つ変えず、源冬の勅諚を読み上げた。
「清。第二夫人の地位をはく奪し、死罪とする。本来であるならば宮刑となるところだが、主上の格別のご慈悲により、毒による自裁をお認めになられました」
「死罪とな!」
牢の扉が開かれた。勅使と兵士達が中に入ってきた。
「主上に会わせておくれ!主上なら私の無実を信じてくれるはず!」
「見苦しいですぞ。主上が見せられた最後のご慈悲、謹んでお受け成され」
兵士達が清夫人を両側から押さえつけた。
「何をする、無礼者!」
「貴女はもう夫人ではない」
勅使は清夫人の口を無理やりに開けさせ、毒を流し込んだ。清夫人は取り乱して暴れたが、すぐに大人しくなり息絶えてしまった。
一方の趙鹿は一切の抗弁もしなかった。終始無言を貫き通し、極刑を言い渡されても清夫人のように取り乱すことはなかった。
清夫人の場合とは異なり、趙鹿は吉野の公衆の面前に引き出され、斬首にされた。刑を執行する前、何か言い残すことはないかと訊ねられると、
「宦官となり吉野宮に出仕したことに後悔はない。後悔があるとすれば、清夫人などに仕えたことだろう」
従順に清夫人に仕えてきた趙鹿が最初で最後の恨み言であった。




