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七国春秋  作者: 弥生遼
黄昏の泉
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黄昏の泉~67~

 急ぎ南下する湯瑛は甲朱関の術中に完全にはまっていた。少しでも後背の相宗如、翼公の軍勢を気にしないでいい距離まで進出しなければならない。そのために無茶な行軍となってしまい、隊列は乱れに乱れていた。湯瑛という将は勇猛で戦場での勘には優れているが、些事に拘らぬ性格をしているため、隊列の乱れなど気にしてはいなかった。さらに言えば、まさか樹弘軍が素早く展開し、強襲を仕掛けて来ようとは考えてもいなかった。

 『斥候は何をしていたのか!』

 湯瑛は単に斥候がもたらした樹弘軍の位置情報が間違っていたと思った。側面からとはいえ、攻撃を仕掛けてきたとなると、これが敵の本体であると認識した湯瑛はこの時になってようやく自軍の隊列の乱れに気づき、整えさせようとした。

 「すぐに戦闘準備にかかれ!」

 だが、文可達がそれを許すはずがなかった。

 「広く展開する必要はない!敵の脇腹に穴を開けてやれ!」

 文可達自ら先頭に立ち突撃を開始した。攻勢を得意とする湯瑛は防御に徹することなく、逆に文可達軍に攻めかかった。猛将同士の激突は数の多い湯瑛軍が優位に進めたが、それもわずかな間であった。甲朱関が予期した通り、疲労度の深い湯瑛軍は各所で劣勢を強いられた。

 「押し返せ!数はこちらの方が上ではないか!」

 存外、敵の数が多くないことを悟った湯瑛はさらに攻勢に出ようとした。しかし、その攻勢に出られるほどの体力が湯瑛軍には残されていなかった、さらにそこへ、田員軍が到着した。

 「見よ!敵は見事に我らに背を向けているぞ!思う存分に討ち取れ!」

 田員は剣を振り上げ突撃を命じた。体力余りある田員軍の将兵は、飢えた狼のように湯瑛軍に襲い掛かった。当然ながら湯瑛は動揺した。

 『挟み撃ちにされた!』

 現在の状況としては、薄い布が二枚の木版に挟まれようとしている。湯瑛としては完全に挟まれる前に逃げ出すか、布から岩に変体しなければならない。すでに日は地平線に隠れようとしている。逃げ出すには最適ではあったが、湯瑛は別の判断をした。

 『夜となれば、敵の攻勢は緩む。その隙に部隊を再編成し逆襲する』

 湯瑛はじりじりと北へと引き始め、後続の部隊と一塊になろうとした。それを見逃さなかったのが、蘆明であった。戦場の様子を遠望していた蘆明は、樹弘に進言した。

 「主上。敵は集結しつつあります。まとめて敵に打撃を与える好機です」

 樹弘はちらりと甲朱関を見た。甲朱関は小さく頷いた。彼も同意見のようだ。

 「蘆将軍の采配に任せます」

 「はっ!」

 勇躍した蘆明はすぐさま馬上の人となると、部隊の前進を命じた。

 「夜となって敵に隙を与える必要はない。松明を掲げよ!その炎のように激しく攻めたてよ!」

 いきなり一軍の統率を任された蘆明であったが、その戦闘指揮は的確そのものであった。部下となった兵士達も、将の気風というものを感じているのか粛々とその指示に従い、一切の乱れもなかった。 

 「流石は蘆士会の息子です。戦場での駆け引きを心得ています」

 甲朱関が感想を漏らした。さらに甲朱関を感嘆させたのは、蘆明がしっかりと敵の逃げ道を用意していたことであった。

 「敵を完全に包囲してしまえば、敵は窮鼠のように必死に抵抗します。そうなれば我らもいらぬ損害を出してしまいますから、あえて逃げ道を作るのは戦術の常道なのです」

 甲朱関は樹弘に教授するように言った。なるほど、と樹弘は頷いた。

 「朝を待たずに終わりますね」

 「まず大丈夫でしょう。敵は逃げるがままにしておけばいいでしょうが、問題はその後です。どうされますか?」

 その後というのは言わずもなが相宗如のことであった。

 「それについては考えがあるんだが、朱関の意見を聞かせて欲しい」

 「伺いましょう」

 樹弘は今後についての意見を述べた。甲朱関は一瞬驚きを顕にしたが、すぐに笑顔になった。

 「いかにも主上らしいです。よろしいかと思います。さて、そろそろ決着がつくでしょう」

 闇になりつつ戦場に勢いよく松明の群れが動いていった。それが蘆明の部隊による最終攻勢であった。


 湯瑛軍はよく耐えたと言ってもよかったであろう。蘆明の突撃によって三方向からの攻勢にさらされ、もはや敗色は濃厚であった。しかし、鎧袖一触に崩壊しなかったのは、流石戦場での猛者というべきだった。

 「北へ逃げても宗如や翼公の軍がいるだけだ!どちらにしろ敵と戦うことになるのだから、ここで死せ!」

 と強烈な訓令を行い、将兵の奮起を促した。それで少しばかりは軍としての士気を高めたが、疲労の極致にあった将兵達は気力で体力を回復させることはできなかった。未明にはついに集団として崩壊した。

 「なんとなさけなや!相公の軍がここまでの醜態を晒すとは……」

 歯軋りをし悔しがった湯瑛であったが、自らも逃げ出すのに精一杯であった。この戦場で離脱し、泉春へと逃げ込んだ将兵の数は一万名を切っており、戦場に残って樹弘に降った兵士も少なくなかった。

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