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七国春秋  作者: 弥生遼
浮草の夢
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浮草の夢~44~

 後方部隊への奇襲を決意した条康は弟の条安にその任務を任せることにした。

 「流石は主上たる兄上!臣、全力をもって任務を遂行いたします」

 兄である条康を敬愛してやまない条安は、兄に大任を任されたことを喜び勇んで出撃していった。条安もまた若年ながら武人としての能力は条康だけではなく条国軍の諸将も認めるところだった。

 密かに本隊から離れ、南方へ向かって大きく迂回しようとした条安はさらに斥候を出して標的となる部隊の正確な所在を知ろうとした。しかし、思わぬ事態が発生した。

 「標的としていた部隊のさらに後方に部隊がいるだと?」

 条安は困惑した。本来標的にしていたのは源冬がいる部隊であり、そのさらに後方に位置しているのが秋桜がいる部隊である。そのような内情まで知らない条安は、新たに発見した部隊が寵姫を守るためだけのものであることなど想像もしていなかった。

 「敵には主上が推測されたのと別な作戦があるのか?」

 条康に相談すべきか。いや、そうしているうちに敵の方が奇襲作戦を行うかもしれない。一瞬逡巡した条安であったが、武人としての直観を信じることにした。

 「新たに発見した後方部隊に奇襲を仕掛ける。最後背を攻撃すれば敵は動揺する」

 条安は迷うことこそが敵であると思った。条安の奇襲部隊が秋桜のいる部隊へと進撃を開始していった。


 後に『史平の戦い』と呼ばれる一連の戦闘は、双方の軍首脳部が錯誤を繰り返し、実に取り留めのない戦いになっていった。そのような中で、戦場における趨勢を冷静に見ている人物がいた。最後方の部隊にいる高薛である。

 『我らがこれほど後方にあっては孤軍になってしまうのではないか』

 主力ともいうべき鐘欽が率いる本軍とは三舎以上の距離があり、源冬がいる部隊とも日中は相応の距離を取っている。もし、この最後方にいる部隊が敵に狙われればひとたまりもなかった。

 『私が敵将であるならばそうする』

 武人ではない高薛の思考は杞憂であるかもしれない。しかし、危機となるべき要素は小さくとも排除しておかなければならない。高薛は岳炎に面会を求めた。

 「副長殿。どうにも主力の軍勢から離れすぎてはおられませんか?私は武人ではございませんので、どうにも心細くございます」

 高薛は決して上からものを言うことはない。あくまでも遜り、岳炎の武人としての尊厳を傷つけないように丁重な物腰で進言した。

 岳炎も宦官に口出しされて反発するような小人物ではない。高薛の指摘を真摯に受け入れることができた。

 「確かに危険だ。秋桜姫に万が一のことがあれば主上に顔向けができぬ」

 岳炎はすぐさま斥候を出し、敵が近くに居ないかどうかを探らせた。この岳炎の判断が少しでも遅ければ、秋桜達は戦場の露と消えていただろう。

 「南方に敵影あり。数、およそ五百」

 斥候が早々に条安の奇襲部隊を発見し、即座に報告してきた。報告を受けた岳炎は蒼くなった。

 「攻撃を受けたらひとたまりもない!」

 秋桜を守る兵数は百名ほどしかいない。五百名の敵兵に攻撃されれば、壊滅されるのは目に見えて明かであった。

 「敵はまだ気が付いていない。北上して敵を避けよう」

 岳炎はここで二つのことを決断した。ひとつは秋桜の世話をしている侍女や宦官のほとんどを吉野に返してしまうことであった。逃げるにしても非戦闘員は足手まといになると判断したのである。これについては岳炎の方が高薛に理解を求めた。

 「尤もなことです。私と侍女長が残ります」

 高薛は賛意を示してくれた。

 岳炎が決断したものひとつの事項は、源冬がいる部隊に合流しようとはせず、鐘欽のいる本軍に直接合流しようとしたことであった。源冬を敵の攻勢に晒させるわけにはいかないという岳炎の判断であったが、これが功を奏することになった。

 「姫様。敵が迫っております。少々逃げますので、しばらく主上とお会いすることができません」

 岳炎と別れた高薛は秋桜に面会して、事の次第を告げた。秋桜は黙って頷いた。敵が迫っていると聞いてもっと怯えるのではないかと思っていたのだが、秋桜の顔色に恐怖はなかった。

 「承知しました。供は最低限の者達に致しましょう。敵も武人なら侍女には手をかけないでしょう」

 秋桜が言ったことは高薛が岳炎に提案した内容と同じであった。

 『この女性は相当聡い……』

 高薛はやはり秋桜を源冬に推薦してよかったと感じた。聡明なだけではなく、度胸もある。将来的には静国を動かしていくのはあるいはこの女性かもしれない、と予感が高薛には嬉しく思えた。

 「姫様……その……恐ろしいとは思われないのですか?」

 高薛は純粋に疑問に思ったので訊ねてみた。秋桜は少し微笑みながら応じた。

 「勿論、恐ろしいですし怖いです。でも、私が怖がっているようでは兵士の皆さんもやり辛いでしょう。だから我慢をしています」

 秋桜の言い様は本当に恐怖を感じている人のそれではないように思われた。高薛も思わず笑みがこぼれた。

 「さぁ、高薛様。時間がありません。早速に準備を」

 「仰せのままに。すぐに準備にかかります」

 高薛は今は間隙を抑え込み、逃走する準備を始めなければならなかった。

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