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七国春秋  作者: 弥生遼
浮草の夢
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浮草の夢~43~

 この殿軍の中に源真がいた。太子である父源円が吉野の留守を守っているので、名代として出陣していた。彼が一連のやり取りを黙って聞いていた。そして源冬が天幕を出ていくと、諸将の視線は源真に集まった。

 「そんな目で私を見ないで欲しいな。主上は私の話など聞きはしないよ」

 諸将は孫である源真が進言すれば聞き入れるのではないかと期待したのである。しかし、そのような源冬ではないと源真は知っていた。源冬は女を愛することはできても、子や孫を愛するようにはできていなかった。

 「しかし、このままでは鐘欽将軍を孤軍にさせてしまいます」

 「鐘欽将軍はやるよ。このままの速度で進み、敵が疲れ切ったところで我が軍団の出番、ということでもいいではないか」

 源真がそのように言うと、諸将達はそういう考え方もあるかと得心している様子であった。

 「ひとまず散会しよう。もうすぐ夜だ」

 自然の流れで源真が散会を提案した。


 源真が天幕を出ると、そっと腹心の虞岐式が近寄ってきた。

 「なかなか面白いことを仰いましたな。敵が疲れたところで出番があるとは……」

 虞岐式は源真よりも二つ三つ年上であり、兄貴分のような存在であった。怜悧な知性をもっており、源真も頼りにしていた。

 「立ち聞きとは品が悪いな」

 「我が軍にとって重要なことですから。で、そのように上手く行くと?」

 「行くわけないだろう。分っていて聞くとは人が悪すぎるぞ」

 源真が虞岐式のわき腹を小突くと、ひひっと笑った。

 「後世になれば笑えるような下らぬ状況だが、今の我々にとって笑えんぞ。主上がひとりの寵姫にかまけているうちに全軍崩壊という事態になりかねん」

 忌々しい女だ、と源真は地を蹴った。

 「確かに。しかし、主上を説得するのは無理でありましょう。今、主上が他者の言を聞き入れるとすれば、頓女しかおりますまい」

 「ふん。頓女が戦にも口を差し挟むか。世も末だな」

 「お口が過ぎましょう」

 「構うものか。岐式、情報を細かく集めおけ。最悪の場合、私が軍を指揮する」

 源真は随分と思い切りのあることを考えていた。源真の思考をよく知っている虞岐式は驚くことなく源真の命令を承知した。


 戦闘はすでに始まっていた。戦力はほぼ五分と五分であり、戦局も一進一退であった。

 「主上の部隊は何をしている!」

 最前線に陣を置き、目まぐるしく変わる戦況に対応していた鐘欽は、一向に姿を見せぬ源冬の部隊に苛立ちを募らせていた。一進一退の攻防が続く中、相手の戦力が完全に整う前にこちらが全軍をもって一気に押し込んでやろうと考えていたのに、肝心の源冬の部隊が戦場に姿を見せていなかった。報告ではまだ三舎ほど離れた場所にいるという。

 「主上は頓女に現を抜かし、戦をするつもりがないのではないか!」

 将軍のひとりが唾を飛ばして怒鳴った。他の将軍も激しく頷く。そして鐘欽自体も同じことを考えていた。

 「主上が頓女を連れて行くと言った時には嫌な予感はしたが、現実になるとは!」

 武人としての鐘欽は、戦地において他の将兵と同様の生活を送るのを矜持としていた源冬のことを深く尊敬していた。その尊敬の念が一気に消し飛ぶ思いであった。だが、相手は君主である。君主に対する礼節を失うほどには呆れてはいなかった。

 「主上の軍が進軍速度をあげるまで何度も伝令を出せ。早くお越しいただかなければ、敗軍の将としてお目にかかることになりますとな」

 早く行け、と鐘欽は伝令兵に八つ当たりをした。


 思うように軍が集結できない静国軍に対して条国軍は順調に各地に散った部隊が集まりつつあった。しかし、条康は浮かない顔をしていた。

 「どうして静国軍の後方部隊はすぐに合流しないのか?」

 条康は斥候によって静国軍の動きをほぼ正確に把握していた。当然ながら静国軍の後方にあってなかなか進軍速度を上げてこない源冬の部隊の存在も承知していた。まさか源冬が殿軍にあり、寵姫である秋桜のことが気になって進軍を鈍くしていることなど知る由もない条康は、静国軍になにか作戦があるのではないかと勘ぐっていた。

 「全軍に戒めよ。敵は不可解な動きをしている。あるいは遊軍として我らの側面や後背に進出してくるかもしれない。慎重に行動せよ」

 条康は全面的な攻勢を慎ませた。このことが鐘欽達の助けになったのだが、逆に源冬達が危機に晒されることになった。条康は静国軍の後方部隊に奇襲を仕掛けようとしたのである。

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