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七国春秋  作者: 弥生遼
浮草の夢
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浮草の夢~35~

 安黒胡は勇んで北部に戻り、斗桀族討伐に出陣した。

 「主上より剣と斧を拝領した。我が命令は主上の命令と思え。戦功をあげた者には必ずや報奨があるだろう。全員、静公のために励めや!」

 安黒胡はその言葉を全員に伝達させた。安黒胡軍の士気は高まり、一ヶ月経たずして斗桀族を駆逐することができた。武人としての安黒胡の名声は高まっていった。


 「忌々しい男よ、安黒胡。斗桀族であったくせに……」

 静国北方の山岳部の谷間に斗桀族の拠点があった。そこに逃げ込んできたのは斗桀族の族長完紂因。安黒胡軍に散々にやられ、完紂因自身も傷を負っていた。

 「流石に安黒胡もここには攻めて込んできませんな」

 腹心が安堵を込めて言った。この拠点は剣俊で狭隘な山道を行かねばならない。安黒胡であっても容易に攻めてこられるものではなかった。

 「ふん。深追いすれば自分達が不利になると知っているのだよ。それに敵を残しておかないと自分の存在価値がなくなるからな」

 ずる賢い男だ、と完紂因は唾を吐き捨てた。唾に血が滲んでいた。

 「兄上。ご無事で」

 そこへ留守を預かっていた弟の完岐が姿を見せた。若いながらも思慮深く、兄として知恵を頼みにしていた。

 「俺はな。しかし、多くの勇ましい男達を殺してしまった」

 くそっ、と大地を蹴った。乾いた土が宙に舞った。

 「しばらくは我らの再起が無理だとすれば、謀略をもってかく乱するしかありませんね」

 完岐は平然と言った。戦場には不向きな男だが、背後で謀をさせれば斗桀族で右に出る者はいなかった。

 「良き作戦でもあるのか?」

 「源冬は世間では名君などと言われていますが、私から言わせれば自己顕示欲の高いだけの男です。ですから自分の足元に不満を持っている者がいるなどと思っていないでしょう。まずは源冬に猜疑という心を植え付けるのです」

 この完岐の遠大な謀略こそが静国を未曽有の混乱へと導くのであった。


 この年の暮れ。ひとつの悲劇があった。

 秋桜の養父、頓淵啓が死去したのある。半年ほど前から病に伏せっており、その病がもとで帰らぬ人となってしまった。

 「病のことは吉野の秋桜に知らせるな。知らせれば、看病に行くと言い出すだろう。そうなれば主上に迷惑がかかる」 

 頓淵啓は枕頭で渓省にそう言い、秋桜には一切知らせなかった。死去して初めて渓省は知らせてくれたのである。

 「お父様!」

 秋桜は大いに泣いた。侍女である果明子の話では食事もろくに取らず一日中泣いているという。

 「秋桜よ。人はいずれ死ぬ。余もいずれはそうなる。お前もだ。御父上は我らより先に行って余達が安住に過ごせるように先鞭をつけてくれることだろう」

 源冬はそう言って秋桜を慰めた。数日すれば秋桜は多少気を取り戻したようで、薄い粥程度なら口にするようになり、源冬を安心させた。

 「おお、そうだ。以前、弟のことを言っていたな。すぐに探し出して頓家を継がせよう。そうすれば御父上も喜ぶであろう」

 源冬はそのようなことを言って秋桜の機嫌を取ろうとした。実のところ源冬はこの時まで秋桜が弟のことを気にしていたことをすっかりと忘れていた。秋桜はそれほど気にするようではなく、源冬の口から弟の名前が出てきてさらに気をよくした。

 源冬は早速行動に移し、庸を見つけ出した。庸も秋桜同様に奴隷として売られており、とある商人の下で働かされていた。源冬はその商人に大金を授け、庸を引き取った。

 秋桜の弟である庸は、この時より頓庸と名乗ることになる。琶を離れたが、すぐには秋桜と対面することはできなかった。養父である頓淵啓は下級とはいえ根からの貴族であり、それに相応しい素養を身に着けていた。だから源冬と面と向かえることができた。

 しかし、頓庸は頓家の当主になったとはいえ、元は貧民の子である。貴族としての相応の教養がなければならない。この点が寵姫となる女性との違いであった。頓庸は頓家の養子として貴族の舎弟が通う学舎に入学することになった。頓庸が秋桜に会い、歴史の表舞台に現れるのはもう少し後のことであった。

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