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七国春秋  作者: 弥生遼
浮草の夢
656/964

浮草の夢~34~

 安黒胡。その姿、異形なり。

 後世の歴史書にはそう書かれており、僅かに残されている肖像画もまさに異形であった。

 身長は女性のように低い。そのくせに腹が出ている肥満体であり、口の悪い者共は豚が立って歩いていると言ってその容姿を馬鹿にしていた。

 顔も身長の割に大きく、目もぎょろりと丸く大きい。一見すれば怖ろし気な顔であったが、笑うと童子のような愛嬌があった。

 容姿こそ他者に陰口を叩かれる存在であったものの、戦場に立てば安黒胡は誰もが認めるほど強かった。肥満体からは想像できぬほど軽やかに兵車に乗り、戦場を駆け巡り兵を叱咤した。一方で末端の兵士にも気を配るなど、配下の将兵からの人気も高く、斗桀族の反乱があったとしても静国の北方がよく治まっているのは安黒胡のおかげであった。

 その安黒胡が約三年ぶりに吉野へとやって来た。

 「安将軍が国都に来るそうな」

 吉野の人々は安黒胡が到着すると争ってその姿を見ようとした。吉野の民衆からすれば、北方の異形の将軍を見物することは一種の娯楽であり、怖いもの見たさのような心理もあり、人気を集めていた。

 安黒胡もその期待に大いに応えた。安黒胡は吉野から召喚状が届くと、兵士百名と二十乗の馬車を引き連れて出発した。二十乗の馬車のほとんどが荷馬車であり、北方の貴重な織物や珍味が積まれていた。これらは源冬をはじめとする吉野宮にいる将軍や閣僚への献上品ある。安黒胡は吉野に入るとそれらの荷馬車の幌を外させ、外から見えるようにした。吉野の民衆に北方の珍しいものを見せるためであった。

 安黒胡自身の姿も民衆の見物の対象となった。かつて源冬から下賜された金色の鎧を着つつ、北方で織られた赤い外套を羽織っていた。乗っている兵車も漆塗りに金細工を施したものであり、その美しさは民衆の目を楽しませた。

 「ははは。主上のおかげで吉野の平和じゃな」

 安黒胡は実に嬉しそうに笑い、沿道の民衆に愛想を振りまいた。

 翌朝、安黒胡は表宮の大広間において源冬に謁した。

 「主上!安黒胡、ご下命に従い、参上いたしました!」

 安黒胡は声も大きかった。

 「久しいな、安将軍。元気そうだな」

 「主上もご健勝で……何よりでございます……」

 安黒胡は涙を流してすすり泣いた。その姿に源冬は満足そうに頷き、閣僚や将軍達は芝居がかった安黒胡の涙に呆れ、顔をしかめた。

 「斗桀がまた暴れている。安将軍に剣と斧を授ける。見事討伐してみせよ」

 剣を軍隊の指揮を斧は軍隊内の懲罰を意味する。要するに軍の進退と信賞必罰の権利を安黒胡に与えたことになる。

 「謹んでお受けいたします」

 安黒胡は恭しく剣と斧を押し戴いた。


 夜は宴となった。これには閣僚や将軍達も参加した。安黒胡によろしからぬ感情を持っている彼らも宴席で安黒胡から多大な贈り物を受け取り、機嫌を上向かせていた。

 「安将軍は細やかな男よ」

 安黒胡は将軍や閣僚の席ひとつひとつを回り、酒を注いでいた。源冬はその安黒胡の姿を見て、満足そうに頷いていた。

 源冬の隣には秋桜がいた。最近、源冬は表向き奥向きの区別なく、宴席があれば隣に秋桜を侍らせていた。その秋桜の前には山羊の毛で織られた外套と、北方の山岳で採掘された青水晶の置物などが並べられていた。全て秋桜個人への贈り物である。

 「はい……」

 秋桜は源冬に同調するように返事したが、内心では見た目の恐ろしさしか印象がなかった。そのくせ閣僚や将軍達の前では瓶を片手に腰を低くして談笑している。どちらが安黒胡という男なのか。その差異に戸惑いしかなかった。

 「遅くなりました、主上!ささ、一献差し上げたく存じます」

 しばらくして安黒胡が源冬の前に来た。源冬が差し出した杯に酒を注いだ。

 「将軍、北方の良き土産、喜んで受け取ろう。姫も喜んでおるぞ」

 「おお、秋桜様。初めてお目にかかります、安黒胡でございます」

 安黒胡が秋桜に顔を向けた。まさに異形の容貌であり、秋桜は怯えの色を隠さなかった。

 「ははは、将軍。姫は将軍が恐ろしいようだぞ」

 「ありゃ、これは失敗。確かに初めてお目にかかる姫に対しては、私は恐ろしいでありましょう」

 安黒胡は自虐しながら笑った。源冬も笑っている。

 「どうしてくれるのだ、将軍。余の愛しい姫が恐がっておる」

 「困りましたな……。おお、そうだ!」

 安黒胡は源冬の元から下がると、何を思ったのか上半身裸になった。そして家臣達を呼び寄せ、でっぷりとした腹に墨で顔を書き始めた。

 「さてさて、ご覧あれ。世にも珍しい腹おばけでございます」

 安黒胡は急に腹をゆすりながら踊り始めた。腹が揺れる度に書かれた顔がぐにゃぐにゃと変化した。周囲からどっと笑いが起こり、いつしか楽団が演奏を始め、手拍子も起こっていた。

 「はははは。これよこれ。安将軍の腹踊り。久しぶりに見たわい」

 源冬も手拍子しながら大いに笑っていた。秋桜もあまりの滑稽さに声をあげて笑ってしまった。安黒胡は満足そうに腹踊りを続けた。

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