浮草の夢~30~
楊桂に秋桜を攫わせるとして、どのようにして秋桜を宿下がりするかが問題であった。現在、源冬の秋桜への寵愛は著しく、秋桜が宿下がりを願い出ても源冬は許可していないという。
『あまり露骨なことを言って疑われるのはよくない』
趙鹿は慎重であった。今は時機を待つべきだと思っていると、秋桜が病になったという情報を得た。病といっても体調を崩したという程度であり、寵姫になっての気疲れが出たのだろうという専らの噂であった。
『これだ!』
閃いた趙鹿は医師の口を通じて源冬に吹き込んだ。
「秋桜姫は気の病です。静養し、気を回復させるためにも宿下がりさせ、故郷でゆっくりされるのが一番かと思います」
医師にそう言われれば、源冬も頷かないわけにはいかなかった。秋桜が体調を崩していたことに気を揉んでいたし、義父に会いたいという秋桜の願いを退けてきたという後ろめたさが源冬にもあった。
「ならばひと月、養父のところでゆるりと過ごすがいい」
源冬は度量が大きい所を見せた。秋桜の顔が晴れやかになったことは言うまでもなかった。
これで趙鹿達の陰謀が一歩前進した。と思われたが、思いもよらぬことが起こった。
「余も行こう。秋桜は余の姫となったのだ。養父に挨拶をしたい」
源冬がそのように言い出したのである。国主が自分の寵姫の家族に挨拶に出向くなど前代未聞のことであった。当然ながら延臣達は大反対した。
「夫人であるならまだしも、寵姫の親に挨拶に出向くなど古今聞いたことがありません。国主の地位を軽んじる行いです。お止めください」
閣僚を代表するように丞相の斑諸が諫言した。斑諸の言葉は尤もであり、理にかなったものであった。しかし、その理が見えるほど源冬は秋桜に盲目になっていた。
「秋桜は見事な女性だ。その女性を撫育した頓淵啓という男に興味がある。会って話がしてみたい」
要は秋桜と片時も離れたくないだけのことである。それを見透かされたくない源冬は苦し紛れなことを言った。
「なれど……」
斑諸はさらに反論しようとした。しかし、一度言い出すと容易に言説を引っ込めないのが源冬である。それを知るだけに斑諸達も有効な反論が思いつかなかった。
さらに言えば、源冬が寵姫の親に会うというのは吉野宮における内向きのことであり、政治を担う斑諸達が本来口を差し挟む問題ではない。それだけに強く諌止することもできなかった。
こうなれば斑諸達が頼むのは高薛しかいない。幸いにして高薛は源冬からの寵愛をいいことに居丈高に振舞うような宦官ではなかったので、斑諸達からしても話しやすい相手ではあった。
「主上たる方が寵姫の親に挨拶に出向くなど聞いたことがありません。国主の権威にも関わることです。国主一家の内向きのことなので我らも強くは諫言できません。ぜひとも高薛殿にお力添えいただきたいのです」
斑諸は表宮と奥宮を結ぶ廊下に高薛を呼び出した。閣僚と宦官が直接対面できるのはこの廊下しかなかった。
「左様申されましても、主上はあのような御気性の方。私が申し上げても、お聞き届けいただけるかどうか……」
高薛としても源冬の行動は軽率であると思った。斑諸の言うことの方に理があるのは間違いなかったが、今の源冬がそれを聞き入れるかどうかは分からなかった。
「高薛殿までもがそのようなことを……」
「いや、このことについては私も丞相閣下の方に理があると思っています。同時に主上が自説を簡単に曲げないのはご存じでありましょう」
「左様です。ですから、高薛殿に……」
「主上が秋桜姫の宿下がりに付いて行くというのは止められますまい。そうなれば体面を整えればいいのです。今回のことは主上の地方巡察、ということにすればいいのです」
斑諸は唸った。確かにそれならば国主としての対面は保たれる。苦し紛れではあるが、現在の状況ではこれ以上の妙案はなさそうであった。こうして源冬の北部巡察が決定した。
この決定に困惑したのは清夫人であった。秋桜のみを宿下がりすることによって初めて実現する謀略であるのに、これに源冬が加われば警備が厳重になり、楊桂なる男も秋桜に近づくことができないのではないか。最悪の場合、源冬に危害が及ぶかもしれない。そうなれば下手人は激しく取り調べられ、趙鹿の配下が事前に北部に出没していたことも明るみになるかもしれない。
『いざとなれば、趙鹿には詰め腹を切らせるとして、馬鹿な女のせいでとんだ火遊びになってしまった……』
清夫人は後悔したが、今となっては動き出した車輪を止めることはできなかった。ただ成り行きを見守るしかなかった。




