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七国春秋  作者: 弥生遼
浮草の夢
648/965

浮草の夢~26~

 一夜にして秋桜の運命は変わった。

 「頓秋桜を姫とする」

 秋桜との一夜を過ごした源冬は即座に命じた。その命令はすぐに後宮に伝えられ、秋桜は侍女から寵姫となった。二人用の狭い侍女の部屋から寵姫のための大きな部屋へと移され、侍女から侍女を持つ身分へと変わった。

 「いいのかしら……」

 あまりの待遇の変化に秋桜は戸惑いを感じた。支給された絹の衣服もどうにも着心地が悪かった。

 「いいのよ。そのためにここに来たようなもんだから……」

 軽口を叩いたのは果明子であった。彼女は志願して秋桜の侍女となった。

 「あ、もう貴女は私の主人なんだからこんな口の利き方をしたら駄目ね」

 「気にしないで。果さんにはずっとそのままでいて欲しいです」

 秋桜は心底そう思った。生活が急に変わって果明子まで変わってしまってはただ居心地が悪くなるだけであった。

 「二人きりの時はいいかもだけど、貴女はこれから寵姫なんだからそれらしくしなさいよ」

 「それらしくって……」

 秋桜が戸惑っていると、扉を叩く音がした。はあい、という間延びした声で応じた果明子が扉を開けに行くと、そこには紅公妃がいた。

 「こ、公妃様」

 果明子が慌てて膝をついた。秋桜も膝をついて紅公妃を迎えた。

 「やめなさい、秋桜。貴女は主上の姫となられたのですから、膝をついてはなりません」

 「ですが……」

 「姫になれば相手が主上であっても立礼です。覚えておきなさい」

 紅公妃は優しく教えてくれた。はい、と言って秋桜は立ち上がって頭を下げた。

 「落ち着きましたか?」

 「はい……。あ、申し訳ありません。本来であるならば、私の方がご挨拶に伺わなければならないのに……」

 「いいのですよ。侍女からいきなり姫になっては戸惑いも多いでしょう。それにこれからも何かと大変なことが多いですから」

 それは秋桜も予期していた。僅かな時間ながらも後宮で働いてきたので、ここで繰り広げられる女同士の確執については十分に承知していた。

 「でも、安心なさい。貴女には私がついていますから。何かあれば相談なさい」

 「はい。ありがとうございます」

 秋桜は決して意図していたわけではないが、後宮において紅公妃という最大の庇護者を獲得していた。このことが秋桜の後宮での生活をどれほど助けたか分からなかった。ある歴史家などは秋桜が紅公妃を取り込んだのは計画的だと断じるほどであった。


 ともあれ秋桜は源冬の寵姫となった。この情報は瞬く間に後宮を駆け巡った。敏感に反応したのは現在において最も寵愛を受けている琳姫であった。

 「主上の愛が失われる!」

 琳姫もまた他の寵姫から源冬の愛を奪ったきた。それだけに戦慄する思いであった。だが、その一方で、必ずしも秋桜が源冬の愛を独占するとは限らないという楽観が琳姫にあった。源冬はまだ一回しか秋桜を抱いていない。それが続くとは限らないのだ。

 「所詮は市井から拾われてきた女だ。主上もすぐに飽きよう」

 そう思って自分の焦りを打ち消そうとした。しかし、時間が経つにつれて打ち消そうと思っても打ち消されることなく、焦りが肥大していった。

 「どうすればいいのか?」

 琳姫は侍女達に尋ねた。侍女達にしても源冬の寵愛が琳姫から去れば不遇の身となる。必死に考えて知恵を出さねばならなかった。

 「姫様。頓女は下級貴族の養女でその前は名も知らぬ邑の貧民であったといいます。どうせ芋臭い女です。主上にお願いして宴席を開いてもらって、恥をかかせればいいのです」

 侍女の一人が提案した。余談ながら『頓女』とは秋桜の蔑称として使われるようになり、後の世においても定着していた。

 「それは面白い案ですね」

 琳姫とて生まれが良いわけではない。だが、源冬に献じられるにあたり、かつての主人である商人から徹底的に貴人に接するに相応しい教養を叩きこまれている。その点においては自信があった。

 「早速、主上にお願い致しましょう」

 秋桜が後宮の一員になったことを祝う宴席を開こう。琳姫は侍女から源冬付きの宦官に話を持って行き、源冬の耳に入れることができた。

 「それは良いことだ」

 源冬は琳姫の提案に無邪気に喜んだ。短かったとはいえ、血生臭い戦場にしばらくいたので気が晴れるような華やかな宴をやることに異存はなかった。

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