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七国春秋  作者: 弥生遼
黄昏の泉
64/959

黄昏の泉~64~

 深夜から未明までの混乱を収束させた湯瑛は、この混乱が泉冬の相宗如軍が仕掛けた奇襲であると判断した。

 『そうなると、泉冬の連中がどこからか外に出てきたことになる』

 湯瑛は直情型の将であったが、歴戦の勇者らしく戦場での勘は鋭い。湯瑛は泉冬を厳重に包囲していて、蟻が入り込む隙間もないと自負している。ましてや泉冬の外から攻撃された形跡もない。そうなると泉冬から外へと通じる秘密の抜け道があるに違いない。

 『それを見つければ、泉冬陥落も時間の問題だ』

 湯瑛は綿密に調べさせると、北側の小ぶりな森林に新しい足跡が複数発見された。

 『そこだな……』

 狙いをつけた湯瑛は近くに兵を潜伏させ機会を待った。その夜、茂みの中から人影が現れたのを確認した。報せを受けた湯瑛は間髪容れず伏せていた兵を殺到させた。

 泉冬から外へと通じる抜け道は、地下を掘り進んだ坑道になっていて、人一人が通るのがやっとの狭さであった。抜け道が発見されたという報告を受けた相宗如は、顔を青くさせた。

 『ここを突破されれば泉冬は落ちる!』

 深夜のことながら跳ね起きた相宗如はすぐに兵を補充させた。

 狭い坑道は凄惨な戦場となった。人一人が通れる程度の狭さなので、基本的には一対一の戦いの末、敗れたものが後送され、次の者が前に出るという剣闘試合のような様相を呈しつつあった。試合と異なるのは、坑道の両壁が血の色で塗られ、泥濘のような血溜りが広がっていくところであった。

 「消耗戦なら数の多い我らに利がある!」

 湯瑛は自らも坑道に入らん勢いで兵を叱咤した。一方で相宗如は、湯瑛とは逆に消耗戦になることを危惧していた。

 「消耗戦になれば、徒に兵を損じるだけだ……」

 だからと言って、坑道から撤退し、入り口を封鎖するには敵は深く入り込みすぎている。消耗戦はしたくないが、せざるを得ない事態になってしまったことを悔いた。

 「申し訳ありません。私が余計なことをしたが故に……」

 里圭が顔をしかめて謝罪した。

 「里圭のせいではあるまい。あの坑道はいずれ気がつかれた可能性はある」

 相宗如は里圭を宥めた。ここで里圭を非難すれば、彼は責任を重く感じて無茶な行動にであるだろう。今はそのような形で結束が乱れるのを避けたかった。

 「宗如様、言い難いことではありますが、泉冬を放棄しましょう。傷が浅いうちに捲土重来をお待ちください」

 そう進言したのは備峰であった。理に徹した冷徹な備峰らしい進言である。圧倒的不利な状況ならば、戦力が整っているうちに脱出するのは有効な一手に違いない。だが、

 「捲土重来と言うが、我らに行き場はあるのか?それにこれまで我らを助けてくれていた泉冬の民はどうなる?彼らは私に失望し、そして湯瑛によって処罰されるのだ。それを座しては見ていられない」

 「これは失礼しました。臣が間違っておりました」

 相宗如に言われ、備峰は深く頭を下げた。きっと備峰は本心で言ったのではあるまい。相宗如の覚悟の程を確かめたかったのだろう。

 「だが、手詰まりなのは確かだ……」

 何か手はないか、と必死に考えてみたものの、これといった妙案は思い浮かばずにいた。

 事態が急転したのは、坑道での激闘が始まって二日目のことであった。突如、湯瑛軍が坑道から引き上げたのである。

 「何があったのか?」

 相宗如にとっては天恵であったが、周囲を湯瑛軍に囲まれている現状では、敵軍の状況変化を知るすべがほぼなかった。


 実はこの時、湯瑛は翼公軍と樹弘軍の存在に気がついていた。この二つの軍が湯瑛軍の哨戒網に引っかかったのは同時であったが、距離的には翼公軍の方が近かった。坑道から引き上げさせたのも、これらに対処するためであった。

 『樹弘は何をしに着たのか?』

 泉春を攻めるのなら理解できるが、そこを飛ばして北上してくる意味が湯瑛には理解できなかった。

 『それよりも翼公だ』

 翼公の意図は明白であった。湯瑛軍と相宗如軍が合い争っているところで漁夫の利を得んとしているのだ。現に翼公は泉国に兵を入れたが、すでに占領している領域から出ずに軍を休めている。こちらの様子を伺っているようであった。

 「翼公に使者を出せ!貴殿は不当に我が国を侵している。早々に立ち去られよと」

 湯瑛は堰き立てるように使者を走らせた。休みなく走り続けた使者は二日で翼公の陣にたどり着いて書状を提出した。書状を見た翼公は苦笑した。

 『不当に侵しているか……』

 不当と言うのであれば、真主である泉弁を誅して国主となった相房の方が不当ではないか。それに湯瑛あるいは相史博にそれなりの才覚があれば、翼公と密約を交わし、相宗如と樹弘の排除に専念することも選択肢のひとつとして考慮するであろう。

 「湯瑛は猪武者であろうし、その親玉は短慮の男ということであろう。今の泉国に人材はいないらしい」

 翼公は書状を胡旦に投げて渡した。

 「どう返信すればよいと思う?」

 翼公の問いに胡旦は破いて見せた。翼公は鼻で笑った。

 「手厳しいな、お前は」

 「相宗如も相房、相史博も話すに値する人物ではないと言うことです。湯瑛など以ての外です」

 「よかろう。使者を恫喝して帰せ。但し、軍を動かす必要はない」

 承知しました、と言った胡旦は、その足で使者に会った。

 「我が主は無礼な書状に対して大変お怒りです。湯将軍自身が出向き謝罪をせねば、このまま軍を進めると将軍にお伝えせよ」

 使者は顔を真っ青にして引き上げていった。そのことを胡旦から聞いた翼公は笑いながらも、気を緩めてはいなかった。

 『さてさて、樹弘とやらがどうでるかだ……』

 流石の翼公も樹弘の動きを予測できずにいた。

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