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七国春秋  作者: 弥生遼
浮草の夢
638/965

浮草の夢~16~

 秋桜を乗せた馬車が吉野に到着した。

 『ここが国都吉野……』

 琶という寒村に生まれ、等ですら大都会だと思っていた秋桜にとって、吉野の規模と繁栄ぶりは想像を絶していた。幼い頃に物語で聞かされた異世界の花の都のようだと思うほどであった。

 「ここで驚いていたら吉野宮を見たら腰を抜かしますよ」

 高薛は笑ってからかったが、吉野宮を目のあたりにした秋桜は腰を抜かすどころかひっくり返りそうになった。馬車の車窓から見る吉野宮は縦にも横にも一望することができなかった。

 「私はここで働くのですか?」

 「そうです。と言っても、貴女が働くのは後宮ですから、もっと奥になります」

 「この奥があるのですか?」

 「あるんですよ」

 高薛が再び笑っているうちに馬車が吉野宮の城壁を潜った。吉野宮の内部には無数の建物があり、その間を縫うようにして馬車は進んでいく。特に後宮近くはそのような作りをしているという。

 「盗賊が侵入した時や、敵に攻められた時に迷わせるように作ってあるんですよ」

 高薛がそのように解説してくれた。

 「盗賊や敵が来るんですか?」

 秋桜にしてみればそちらの方が気がかりであった。

 「万が一の要人のためですよ。実際には盗賊が忍び込むことも、敵が攻めてくることもありません」

 主上の御代ではありえないことですよ、と高薛は自信満々であった。

 馬車が一つの建物の前に止まった。馬車から降りた秋桜は建物を見上げた。頓淵啓の屋敷よりも二倍、三倍、いやもっとあるだろうか。兎に角比べ物にならないほど大きかった。

 「ここが公妃様のお屋敷ですか?」

 「はは、まさか。ここは侍女達の宿舎ですよ」

 と高薛に言われ、秋桜はしばらく呆然として動けなかった。

 高薛に伴われて秋桜は宿舎の中に入った。高薛の説明によれば一階に食堂や風呂場があり、二階以上は寝室となっている。

 「侍女の仕事は多岐にわたります。しかも、後宮は一日中稼働していますから、侍女も一日中働いてもらうことになります」

 勿論交代制ですよ、と高薛が言ったので秋桜は安心した。

 「それで私の仕事はどのようなものになるのでしょうか?」

 「それについては彼女に説明してもらう」

 高薛が三階にある一室の前で停まり、扉を開けた。中には侍女の衣装を着た一人の女性が座っていた。

 「紹介しよう。彼女は果明子。君の上司になる」

 高薛は続いて秋桜のことを紹介した。果明子は立ち上がった。秋桜よりも背が高く、年もやや上だろうか。簡単に秋桜の姿を上下に眺めると、よろしくと愛想にかけた口調で言った。

 「では、果殿。彼女のことをよろしく頼む」

 「はい。高様」

 果明子は高薛に対しては実に慇懃であった。

 「秋桜、励みなさい。何か困りごとがあればいつでも私に相談してください」

 高薛は秋桜の肩を叩きながら部屋を出ていった。果明子と二人きりになって秋桜は急に寂しく不安になってきた。

 「そんな不安そうにしなさんな。別に苛めたりしないよ。高様のお声がかりなら、いつかは主上のお手付きになるんだから」

 そうなれば私にも御利益があるからね、と果明子は小さく笑った。

 「よろしくお願いいたします」

 果明子の思惑を聞き流した秋桜は丁寧にお辞儀をした。

 「ふん、殊勝じゃない。まぁ、ちゃんと私の言うことを聞いてへまさえしなければ大丈夫よ。じゃあ、制服に着替えて」

 それから早速仕事だよ、と果明子は言った。仕事をしている方が秋桜にとっては気楽なような気がした。

 秋桜に与えられた仕事は単純なものであった。紅公妃の屋敷の一角を掃除するだけであった。しかし、大理石の床には塵一つ落ちていてはならず、ぴかぴかに磨かれていなければならない。それは窓も同じであり、頓淵啓の屋敷にいた時よりもより完成度の高い清掃を求められた。秋桜と果明子は二人で黙々と一日中掃除をしなければならなかった。

 「同じことを明日もやるんだ。どうだ?なかなか良い仕事だろ?」

 夜、宿舎に戻ってきた果明子が寝台に横たわりながら言った。

 「明日もですか?」

 「そうだよ。一年中、私達はあそこの掃除をしなければならない。これが下っ端のお仕事さ」

 「果様は何年、ここで働いているのですか?」

 「様はよしてよ。そうだね、もう三年になるかな」

 果明子はどういう経緯でここに来たのだろう。聞きたくなたっが、果明子はすでに寝息を立てていた。

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