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七国春秋  作者: 弥生遼
浮草の夢
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浮草の夢~14~

 頓家の養女が後宮にあがるらしい。そのような噂はすぐに等や壜に広がった。多く者達は御領主様にとって名誉なことであると喜んだが、秋桜に懸想していた若者達は残念に思っていた。それでも彼らからすると養女とはいえ秋桜は領主の娘なのだから所詮は高値の花である。残念以上の感慨を持ち得ることはなかった。ただ一人を除いては。

 「秋桜が後宮にあがるという噂は本当か?」

 どこかで情報を仕入れてきた楊桂は巨尹を捕まえて事実かどうかを確かめようとした。

 「俺に聞くな。俺も噂でしか知らん」

 巨尹は素っ気なかった。もとより秋桜に興味を示さなかった巨尹からすれば、後宮にあがるかどうかなどどうでもいいことであった。

 「後宮にあがれば二度とここには帰って来れなくなるぞ」

 「そうなるだろうな。いいじゃないか。こんなうらぶれた地方から後宮にあがる女なんて滅多に出るものじゃないぞ。御領主様にとっても名誉なことじゃないか」

 「お前はそれでいいかもしれないが、俺にとっては秋桜は本気の相手だ」

 「本気ね。どちらにしろ御領主様の養女なら俺達の身分じゃ相手にされることはない。これを機会に諦めろよ」

 いい女なら紹介してやるぞ、と言って巨尹が差し出した手を楊桂は払った。

 「いらん!」

 「お前ね、いい加減に目を覚ませ。どうにもならねえだろう」

 巨尹の言うとおりである。楊桂がどう足掻いてみても、領主の娘を妻とすることはできないだろうし、後宮にあがることを止めることはできなかった。それを理解しつつも納得できないのが初恋というものであった。

 「そう思いつめるな。世の中にはいい女なんて沢山いる。お前のことを良いって言っている女もいるんだぜ。そう気を落とすな。今日は飲もう。秋桜のことを忘れるほど飲め」

 奢ってやるからよ、と巨尹は楊桂の肩を叩いた。楊桂は聞き取れないほどの小声で返事するだけだった。


 秋桜が吉野へと向かう日が刻一刻と迫っている。楊桂は巨尹の前では秋桜のことを忘れたように装いつつ、

 『秋桜をさらって駆け落ちする』

 ということを決心していた。秋桜が吉野へと向かう馬車に乗ってからでは遅くなる。その前に秋桜をさらわねばならなかった。

 従来であるならば秋桜は頓淵啓の屋敷におり、三日に一度に等か壜に現れて買い物をしてくる。しかし、後宮にあがると分かった時より等にも壜にも姿を見せなくなっていた。

 『屋敷に引き籠っているのか……』

 頓淵啓の屋敷には人がいない。主である頓淵啓と秋桜が住んでいるだけで、家令の渓省はたまにしか屋敷にいかない。秋桜を拐には渓省がいない時を狙うべきであったが、渓省も最近は等に姿を見せていないので屋敷にずっといると見るべきだろう。

 「迎えの馬車はいつ来るのか?」

 楊桂の気がかりはそこであった。こうなれば時間との戦いである。吉野からの向かの馬車が先か、秋桜を攫う好機が来るのが先か。楊桂は焦れながらも好機が訪れるのを待つしかなかった。

 そのような日々を過ごしているうちに、ついにその日が来てしまった。明日、吉野から迎えの馬車がくるらしい。等がちょっとしたお祭り騒ぎになっている最中、楊桂は焦りの極致にあった。

 『今晩、やるしかない……』

 当初の予定では密かに屋敷に忍び込み、秋桜を連れ去れるつもりであったが、こうなれば刃傷に及んでも強引にやるしかない。思いつめていた楊桂は夜になるのを待ち、頓淵啓への屋敷に向かった。

 夜道は暗い。等から頓淵啓の屋敷までは一本道である。迷うこともないので松明を持たず、月明かりだけを頼りに歩いた。

 屋敷まであと少し、というところで楊桂の前に何者かが立ち塞がった。それが巨尹であることは月明かりに照らされるまでもなく分かった。

 「目が血走っているぞ。何をするつもりだ」

 「ふん。こんな闇の中で俺の目の色なんぞ分かるものか。そこをどけ」

 「どけないな。親友が大罪を犯そうとしているんだ。止めるしかないだろう」

 「親友ならどいてくれ、頼む」

 楊桂は頼むと言いながらも剣を抜いた。

 「俺もお前のことを親友だと思っているからこそ、これ以上行かせるわけにはいかん」

 対する巨尹は剣を抜かなかった。楊桂が口でこそ凄みながらも決して斬らぬであろうという確信があるようであった。

 「俺の初恋を邪魔しないでくれ」

 「初恋というのであれば美しい思い出のままにしておけ。血生臭い思い出じゃ嫌だろ?お前のしようとしていることは誰も特しない」

 お前もな、と巨尹が言った時、楊桂は剣を収めた。

 「それでいい」

 「初恋というものは辛いものだな」

 楊桂はがくりと膝をついた。

 「そうだな。成就するようなものじゃない。誰にとってもな」

 「お前もそうなのか?」

 「じゃあ、酒でも飲みながらゆっくり話をしてやるよ」

 巨尹は楊桂の手を取り立ち上がらせた。楊桂は止めどなく泣いていた。

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