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七国春秋  作者: 弥生遼
浮草の夢
634/965

浮草の夢~12~

 渓省が慌てた顔をして頓淵啓の屋敷にやって来た。宦官の高薛の使者が書状を持ってきたと言う。

 「高薛様といえば後宮の侍従長ではないか」

 下級とはいえ貴族の端くれとして高薛の名前は知っている。頓淵啓からすれば雲上人同然であった。

 「何かしたであろうか?」

 一体どういう了見で高薛が書状を寄こしてきたのだろうか。そもそも宦官が地方に住まう貴族に面会を求めてくるなど聞いたことがなかった。国主から褒詞を授かる時に宦官が派遣されたという先例があるが、頓家には源冬から褒詞を授かる様なことをした記憶がまるでなかった。ひとまず書状を開いてみると、

 『お話したきことがありますので、ぜひ貴殿の御宅に訪問したいのですが』

 という内容であった。詳細は書かれていなかったが、文面はひどく丁寧であったのでまずは安心した。

 「賂を用意した方がいいだろうか?」

 「用意するにしても急には無理です。ひとまずお会いして要件をお聞きになられてからでもよいでしょう」

 頓淵啓は渓省の助言に従うことにした。会う旨の書状を認める一方で、秋桜には屋敷を徹底的に掃除するように命じた。

 

 翌々日、高薛は頓家の門を潜った。すでに粗衣は脱ぎ、宦官としての礼服に着替えた。

 「これはこれは高薛様、ようこそ拙宅へ」

 頓家の当主頓淵啓自らが門前に出迎えた。小柄で人のよさそうな老人であった。

 「高薛です。この度は急な来訪、失礼いたします」

 高薛は辞儀を低くした。いくら源冬の寵臣とはいえ宦官である。静国の身分階級でいえば頓淵啓の方が上なのである。

 「どうぞ中へ。狭い所ですが……」

 とはいえ頓淵啓としても高薛に対して居丈高に振舞うことはなかった。高薛は頓淵啓に案内され屋敷に入り、応接に通された。椅子に座ると初老男がすかさず茶を持ってきた。この男が頓家の家宰であることは承知していた。頓淵啓も正面に着座し、さてどう切り出そうかと思っていると、頓淵啓が妙にまごまごとしていた。

 「いかがなされた、頓殿」

 「いや、貴人をお迎えするようなことがこれまでありませんでしたので、失礼があってはならぬと思いまして」

 「ほほ、それは心配無用です」

 「それに失礼ながらも私は貴方が本当に高薛様かと信じられないぐらいでございます」

 頓淵啓は慎重に言葉を選んでいるが、要するに目の前にいる人物が偽の高薛ではないかと疑っているようであった。

 『なるほど、なかなか聡い』

 高薛は感心した。高薛という貴人を目の前にして緊張しながらも冷静に思考している。この聡さがあれば、秋桜の話をしても損得勘定をすぐにできるだろう。

 「これは失礼した。貴殿が疑うのも無理もないことだ」

 高薛はそう言ってぶら下げている首飾りを懐中から取り出した。紫色の璧がぶら下がっており、それを頓淵啓に示した。紫の璧は宮廷で宦官を見分けるために使われている装飾具である。宦官としての地位が高くなるほど色が濃くなり、侍従長となると金泥で模様が描かれている。高薛のそれにはちゃんと金泥で龍の印が描かれていた。

 「失礼いたしました」

 頓淵啓は緊張を解いたようだった。秋桜がこの老人に仕え養女となったならば、性格的にも安心できる女性だろう。

 「こちらこそ不躾なことを致しました。あまり表立っては動けない用件がありまして……」

 「ほう……」

 再び頓淵啓の顔に緊張の色が走った。

 「主上のご生活に関わることです。主上が新たに見目麗しき女性を探されているのです」

 この言葉の時点で頓淵啓は用件の全容を察したようであった。

 「我が娘、秋桜のことですか?」

 「左様です。等で拝見いたしましたが、容姿は主上の御好みそのものです。また貴殿を見ておりますと、しっかりと養育されたように察します。是非とも御一考いただければと思います」

 頓淵啓は即答するだろう。そう思っていたが、頓淵啓は無言で考え込んでしまった。

 「頓殿。失礼なことを申し上げることになりますことをお許しください。後宮に出仕し主上のお目に留まることがあれば、貴殿にとってもご息女にとっても良きことだと思いませんか?仮にお目に留まらぬとも後宮の女官となれば、その生活は一生安泰となります」

 「承知しております。しかし、私としてはあの子の意思を尊重してやりたいと思います。養女にしたとはいえ、あの子は私の娘ですから」

 「これはまた失礼した。左様でありましょう。しっかりと考えてください。私は一週間ほど等に逗留します。それ以後は吉野に帰る故、文を送ってください」

 高薛からすれば源冬の権威を笠にして無理にでも秋桜を連れて帰ることはできた。しかし、そうしなかったのは頓淵啓への敬意に他ならなかった。

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