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七国春秋  作者: 弥生遼
浮草の夢
631/964

浮草の夢~9~

 さらに一年が過ぎた。秋桜は十五歳となった。

 秋桜の美貌はさらに磨きがかかり、体格も女らしくなっていた。秋桜は変わりのない生活を続けていたが、頓淵啓のところには秋桜を嫁に欲しいと持ち掛けてくる者が後を絶たなかった。

 「どうしたものか……」

 そのことがここ最近の頓淵啓の悩みとなっていた。今となっては生活のすべてを秋桜に頼るようになっていたが、いつまでもそういうわけにはいかない。秋桜もあと少し年齢がいけば、嫁に行くということも考えなければならなくなるだろう。

 あるいはすでに良き男がいるのかもしれない。そう思い、秋桜にそれとなく尋ねてみたことがあった。秋桜は、

 「私は嫁には行きません。ずっと旦那様のお世話を致します」

 と真面目に答えた。秋桜の返答はありがたかったが、そういうわけにはいかないだろう。

 「秋桜は真面目だからそのようなことを言うが、私やお前の方が先に死ぬ。私に子がおれば、代々仕えさせることもできたのだがな」

 ある日、頓淵啓は渓省を呼んで相談した。頓淵啓は数年前に亡くなった夫人との間には子供ができなかった。子供がいれば領地を相続させ、秋桜はその子に仕えることができたのだが、このままでは頓淵啓が死ねば秋桜は行く先を失ってしまう。そうなる前に秋桜の嫁ぎ先を考えておいてやりたい。頓淵啓もまた秋桜のことを娘のように思っていた。

 「私もそのことを危惧しております。等の若者達の中で秋桜に懸想している者は少なくありません。あの子は真面目ですから邑の祭礼などには参加しておりませんので、男と契りを交わしているようなことはないと思いますが、今後はないとは限りません」

 静国に限らず民間で行われている祭礼のある夜は若い男女が睦合う機会となっていた。そこで男女の契りを交わすことも多く、夫婦関係へと発展することもあった。

 「そこでだ。私は秋桜を養女にしようと思っているのだが、どうだろうか?」

 秋桜が頓家の養女となれば、領地こそは相続できないが、頓家の財産は秋桜が相続することができる。それに頓家は下級とはいえ貴族である。相応の家柄の男性との結婚も可能になるだろうというのが頓淵啓の目論みであった。

 「よろしいかと思います。私もあの子の行く末を案じております」

 渓省もすでに妻を失い、子もいなかった。頓淵啓同様に秋桜のことをいつしか本当の娘のように思っていた。

 「不思議なものだな。ここに来た時は単なる召使だと思っていたが、今では娘を持ったような気分になっている。秋桜のあの健気さがそうさせているのかな」

 頓淵啓が見る限り、秋桜は仕事に対して不満を見せたことはなかったし、泣き言も聞いたことはなかった。自分の境遇を素直に受け入れ、懸命に生きようとしている。その姿が頓淵啓には健気に映った。

 「さて、どうでしょう。ですが、私も彼女を奴隷市場から引き上げた責任があります。下手をすれば娼婦となり、短命で終わっていたかもしれない彼女の人生を実りあるものにしてあげたいのです」

 「回りくどい言い方だな。だが、お前が賛成してくれるのならそれでいい。早速、秋桜に話をしてみよう、呼んでくれ」

 承知しました、と渓省は嬉しそうな顔を覗かせていた。


 渓省に連れられて来た秋桜は少し緊張した面持ちであった。何か自分がしでかしたのだろうか、と心配している様に見えた。

 「そう緊張するでない。お前にとっては良い話だ」

 座りなさい、と渓省は正面の長椅子に座るように促した。秋桜は躊躇いを見せた。頓家に来て三年、主人と同席などしたことがないので驚き躊躇うのも当然であろう。秋桜はちらりと渓省を見た。渓省が座りなさいと優しい声で言ったので秋桜はおずおずと頓淵啓の正面に座った。

 「秋桜。唐突な話だが、私の養女にならないか?」

 「養女ですか?」

 秋桜は頓家に来てから文字を知り、相応の社会常識と知識を得ていた。養女という言葉の意味は理解していた。

 「そうだ。当然侍女としての仕事は続けてもらうが、先々のこともある。私が死んだとしても財産を残してやれるし、頓家の名前も何かと活きてくる。悪い話ではあるまい」

 頓淵啓が言うと、秋桜は急に悲しそうな顔になった。

 「そんな顔をするな。別に明日明後日に私や渓省が死ぬわけではない。だが、こういうことは早いうちにはっきりとさせておいた方がいいからな」

 頓淵啓が笑いながら言うと、秋桜の表情が安堵に変わった。

 「お前にも感ずるところがあるだろう。売られてきたとはいえ本当の家族がいるのだからな。無理強いはしないし、じっくりと考えてくれていい」

 「旦那様。私に家族はありません。ここだけが私の家です。旦那様が私のことを思って養女にしてくださるのなら、喜んで娘になります」

 秋桜は即答した。その頬には涙が伝っていた。そんな秋桜を見て頓淵啓も渓省も思わず瞳を潤ました。

 こうして秋桜は頓秋桜となった。しかし、秋桜が頓淵啓の娘でいられたのはわずかな時間でしかなかった。

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