栄華の坂~99~
以下の話は、条元の人生を語る上ではもはや余話であるかもしれない。
丞相となった条元は斎国の国政を改革すると同時に、やらねばならぬことがあった。師武と斎烈の討伐である。
師武と斎烈はいまだ斎国の四分の一程度を支配している。これを討伐せねば、斎国に平和は戻ってこない。だが、条元はすぐには動かなかった。あくまでも内政を優先するつもりであった。
「師武などいつでも討伐できる。それよりも民心を安定させる方が難しい」
条元は当面、軍を起こさないつもりでいた。しかし、意外なことが発生したのである。師武の陣営から逃げでしてきた斎烈が降伏を申し出てきたのである。
降伏してきた斎烈の考えは非常に幼稚であった。
「もはや師武は条元には勝てぬだろう。こうなれば条元に頭を垂れてでも、慶師に戻るべきではないか」
斎国慶と斎国仲が消え、斎文もほぼ寝たきりで政務を見ていない状態となっている。そこへ自分が慶師に帰還すれば、国主として扱ってくれるのではないかという淡い期待がった。
「全権は丞相が握ってくれていい。俺が国主として親任してやろう」
条元と面会した斎烈は太々しくそう言った。条元だけではなく、閣僚達も開いた口が塞がらない思いであった。今更ながらのことだが、もはや条元は斎公の親任など必要としていない。条元という一人の男の器量と才覚に諸侯も民衆も期待を寄せている。斎公などという古びた権威など、条元には無用であった。それは誰しもが知ることであり、知らぬは斎烈だけだった。
「斎烈様、我が国には斎文様という国主がすでにおいでになられます」
条元はそれだけ言うと、斎烈を斎慶宮内に軟禁した。条元にとっては殺すまでもない相手であった。
この事態に困ったのは師武であろう。仮初にも主君と仰いだ斎烈が出奔し、師武は条元と対抗するための大義を失ってしまった。師武としては条元に服さず、戦い続ける道もあった。しかし、師武が選んだのは降伏であった。これ以上、条元と戦うことに意味を見出せなかった。
武装を解き、慶師にやってきた師武のことを条元は歓待した。
「師武殿とは争ってきたが、同じ斎国の人間。師武殿が矛を収めてくれるのであれば、私としても剣を研ぎ続けることはしません」
条元にとって師武の降伏は望外なことであった。戦争をする必要がなくなったわけであり、師武ほどの大人物が服したとなれば、条元政権の基盤も固まったのも同然であった。すでに陶進を大将軍としているので師武をその職を任じることはできなかったが、左大将の地位に与え、旧領を安堵した。師武は条元が条公となり国号が条国となっても叛くことなく、軍事上の重臣としての人生を全うした。
条元が丞相となって半年後、斎文が薨じた。条元が丞相となってからは朝議はおろか、寝室から出ることもなかった。自らの置かれた境遇を慰めるためか、一日中酒をあおる生活を送っており、当然のことながら体を悪くした。
条元は酒におぼれる斎文のことを諫めることはしなかった。今の斎文にはかつての英気に満ちた若者らしさがなく、元に戻ることもないであろう。それならば斎文の好きにさせようと思った。
「もはや斎文様にはひと時の悦楽に身を沈めるしかないのだ」
条元が斎文のことを放置したため、斎文は瞬く間に体を悪くし、そのまま生涯を閉じた。
条元は大葬をもって斎文を弔った。誰しもが最後の斎公が亡くなったと思い、その魂を見送った。
いや、ただ一人そう思っていない男がいた。斎烈である。
「斎文が死んだということは斎公となるのは俺しかいない」
斎文は結婚することなく、子を残すことなく薨じた。ということは斎家の嫡流として生きているのは斎烈しかおらず、思わぬ形で国主の地位が回ってきたと斎烈は信じて疑わなかった。この厚顔無恥の見本のような男は、斎文が死ぬとすぐさま条元に会い、いつ国主になれるのかと尋ねた。条元はため息交じりに答えた。
「斎烈様、主上の御身内は烈様しかおりません。今はそのようなことを言っている場合ではなく、弟君の喪に服されるべきではないですか」
そのように言われると斎烈は何も言えなかった。斎烈は形ばかりの服喪を行い、ついには国主となることはなかった。
斎文が亡くなり国主が不在となると、人々の関心は次の国主が誰になるのかであった。勿論、候補となるのは斎烈しかいない。しかし、誰しもが斎烈が国主になるとは思っていないし、相応しいとも思っていなかった。斎烈が服喪する期間は約一年。その間は丞相である条元が政務を代行することになる。そして斎烈が服喪を払った時にどうなるのか。ほとんどの人が同じ未来を予想していた。




