栄華の坂~96~
栄倉に条元、条春、条隆が揃った。そこに条耀子も加わり、条家一族が集まったが、そこに謝玄逸の姿はなかった。条元にとっての義理の父である謝玄逸はこの頃病に伏せっていた。
『寂しいことだ……』
条元はふと我が手を見た。そこには張りのある肌ではなく、やや皺の増えた男の手の甲があった。浮浪の身から白竜商会を経て美堂藩の藩主となり、今や斎国を事実上支配している実力者である。ここまで来るのに十五年以上の歳月が流れている。年を取るわけである。
しかし、寂しいことばかりではない。すでに条元には二人の子供が生まれ、実は条耀子の腹にはまた新たな生命が宿っている。子供達の器量はまだ未知数だが、条元自身が年を取ろうとも、条家の未来は安泰である。その安泰をより確実にするためにも、条元は最大の決断をしなければならなかった。
「さて、条家がこの後、大きく開けるか、一藩主として終わるかの岐路に立たされている。お前達の存念を聞きたい」
条元は三人に問うた。すでに条元自身の腹は決まっているので、謂わば確認作業のようなものであった。
「私は殿に付いて行くまでです。御存念は殿次第です」
真っ先に声を上げたのは条春であった。
「私も同じじゃ。ししし、旦那様になさりたいようにされればいい」
条耀子も手放しに条元に賛同を示した。そもそも条家の中で一番物騒な考え方をしているのは条耀子であった。
「隆はどうか?」
「殿、いえ、あえて兄上と呼ばせていただきます。我ら兄弟はこの栄倉という鄙びた邑に生まれました。ついこの間までは律伸のもとにありましたが、兄上が来られてから一年ほど立ちますが、かつての陰惨とした情景が嘘のようになっております。これもすべて兄上の徳というものでしょう」
条隆はむず痒くなるような世辞を並べた。しかし、条隆は意味もなく阿諛するような男ではない。
「もし兄上が条家の繁栄のみを望むのであれば、今すぐに波朝殿を主上に差し出し、その功として恩賞を得ればよいのです。斎国の重鎮として富貴に満ちた条家を築くことができます」
「そうであろうな」
「しかし、兄上が斎国そのものを繁栄を望むのであれば、波朝殿の引き渡しを拒否し、斎公と対立する道をお選びください。そして、兄上がこの国の主となるのです」
「俺が国主か?随分と思い切ったことを言うな」
「そもそものことですが、私には一つの疑問があるのです。国主を争った斎烈も斎国慶もどうして神器を手にしようとしないのでしょうか?」
神器には様々な噂がある。後の世では条元が条国を興した時に斎国の神器である『地斎の矛』が失われたとされている。しかし、実はこの時すでに神器は失われていたという。噂の範疇であるが、噂となる原因がないわけではない。斎幽の数代前の斎公は随分と狂暴な男で、気に入らぬ家臣を神器で刺殺したという事件があった。その際、国主が非道な行いをしたがために神器が破損したという噂が流れた。このことが事実であるかどうかは定かではないが、この事件を境にして儀式などで神器が使われなくなったのは事実であり、条元が生きた時代にはほぼ事実して語り継がれていた。
「すでに神器は失われている、という噂はあるが……」
「まぁ、本当に神器があるかどうかなどどうでもいいのです。要はすでにこの国では国主が国主たる資格が神器にはないということです」
「俺が国主となってもおかしくないということか」
「おかしくないどころか、国家の資本は民です。美堂藩、そして栄倉をご覧ください。兄上に怨嗟の声を投げかける民衆などおりません。寧ろ感謝の声ばかりです。その声を斎国全土に広げるべきです」
後は兄上に斎国を背負う覚悟があるかどうかです、と条隆は締めくくった。
「覚悟か。覚悟など、貧困のまま慶師を出た時より決まっている」
自分はこの時のために生きていたのかもしれない。死者の髪を切り取って生業としていた老婆も、無念のうちに死んだ魚然や亜好も、条元が国主となれば報われるだろうか。
『いや、死者にではないな。生者に向き合わなければならない』
条元の身は今や条元だけのものではない。条家全員の生死を握っているわけであるし、条元の言動は斎国に生きる人々の生活を左右させるものであった。そのような立場にある人間が国主となる宿命から逃げて良いはずがなかった。
「勅使に伝えよ。波朝殿は私の大事な客人。引き渡すわけには参らぬ」
この一言により、条元は斎文と袂を分かつことになり、朝敵となる道を選んだ。条元と斎文。後世の歴史家からも理想的な主従であると言われていたが、わずかな間隙が二人の間を切り裂いてしまった。
帰還した勅使から条元の返答を聞いた斎文はすぐさま律伸を大将軍として条元討伐を宣言した。条元を朝敵とし、全国の諸侯に条元を討つように勅諚を出した。




